「アトラクター」の版間の差分

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==背景==
何かの状態の[[時間発展]]が、規則にしたがって[[決定論]]的に意的決まっている系を[[力学系]]という{{Sfn|井上・秦|1999|p=5}}。一般に、力学系の振る舞いは「保存的」か「散逸的」かに分類できる{{Sfn|Jackson|1994|p=123}}。物理的な系として[[ばね]]や[[振り子]]の系を考えると、系に[[摩擦]]が無いときは[[力学的エネルギー]]が保存され続けるのに対して、系が摩擦があるときは力学的エネルギーは熱に変わって系から失われる{{Sfn|竹山|1992|p=30}}。前者のような系を[[保存系]]と呼び、後者のような系を[[散逸系]]と呼ぶ{{Sfn|竹山|1992|p=30}}。日常的に観測される実存の系の多くは散逸系といえる{{Sfnm|佐野|2001|1p=65|松本・徳永・宮野・徳田|2002|2p=5}}。物理的な観点から言えば、散逸系はエネルギー的に開放されているのが特徴で、非平衡開放系とも呼ばれる{{Sfn|郡・森田|2011|p=16}}<ref name=北畑・吉川>{{Cite book ja-jp |author = 北畑 裕之・吉川 研一 |editor = 蔵本 由紀 |others = 三村 昌泰(監修)|title = リズム現象の世界 |url = http://www.utp.or.jp/book/b302449.html |chapter = 化学・生物の世界のリズム |publisher = 東京大学出版会 |year = 2002 |edition = 初版 |isbn = 4-13-064091-7 |pages = 1&ndash;2 }}</ref>。散逸系であっても、エネルギーが流出すると同時に流入してバランスすると、最終的な運動が静止状態になるとは限らず、安定な[[振動]]のような動的な状態を取ることもある{{Sfn|郡・森田|2011|p=16}}<ref name=北畑・吉川/>
 
何かの状態の[[時間発展]]が[[微分方程式]]や[[差分方程式]]などの決まった規則にしたがって起こるとき、力学系の考え方ではその、対象とする状態を変数の組として表し、それを空間上の1点とみなす{{Sfn|金子|2009|pp=65&ndash;67}}。時間発展に従って動く空間上の点の軌跡は[[軌道 (力学系)|軌道]]と呼ばれ、状態の時間変化を表している{{Sfn|井上・秦|1999|p=65}}。状態の集まりである空間は[[相空間]]や[[状態空間]]と呼ばれる{{Sfn|徳永|1990|p=66}}。散逸系とは、数学的には、相空間の体積要素(2次元であれば[[面積]]、3次元であれば普通の意味での[[体積]])が時間発展にともなって減少していく系を指す{{Sfn|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|p=20}}。散逸系では、相空間上の軌道がある一定の領域(状態の集まり)へ引き付けられる現象が存在する{{Sfn|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|p=102}}。このような領域をアトラクターと呼ぶ{{Sfn|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|p=102}}。一方の保存系では、アトラクターは存在しない{{Sfn|竹山|1992|p=39}}。
 
このような散逸系では、相空間上の軌道がある一定の領域へ引き付けられる現象が存在する{{Sfn|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|p=102}}。このような散逸系で軌道を引き付ける領域(状態の集まり)をアトラクターと呼ぶ{{Sfn|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|p=102}}。一方の保存系ではアトラクターは存在しない{{Sfn|竹山|1992|p=39}}。アトラクターが存在するとき、ある程度の時間経過後に系の状態はそのアトラクターにほとんど引き込まれるため、アトラクター上での振る舞いが実質的に系の長期的な振る舞いを支配しているといえる{{Sfn|井上・秦|1999|p=68}}。また、何かの乱れが系に加わったとしても、乱れがさほど大きくなければ、やはり状態はアトラクターへ引き込まれる{{Sfnm|郡・森田|2011|1p=16|グリック|1991|2p=241}}。したがって、散逸系の振る舞いを理解するためには、系のアトラクターとアトラクター周辺の性質を調べることが重要となる{{Sfn|郡・森田|2011|p=16&ndash;17}}。アトラクターを理解することは、力学系分野における中心的話題の一つといえる<ref name="青木"/>。特に後述の[[#ストレンジアトラクター|ストレンジアトラクター]]が具体的な微分方程式の数値実験で現れることが確認されて以降、これを一つのきっかけとして力学系理論への注目が高まり、多くの研究が行われるに至った{{Sfn|久保・矢野|2018|p=308}}。
 
==定義==
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力学系の位相的推移性あるいは推移性とは、直感的に言えば軌道がその領域内をくまなく動き回ることを意味する{{Sfn|グーリック|1995|p=87}}。{{Harv|松葉|2011}}、{{Harv|Hirsch, Smale & Devaney|2007}}、{{Harv|久保・矢野|2018}} も 位相的推移性をアトラクターの条件として挙げている{{Sfnm|松葉|2011|1pp=116,120|Hirsch, Smale & Devaney|2007|2p=316|久保・矢野|2018|3p=197}}。{{Harv|小室|2005}} でも[[稠密集合|稠密]]な軌道の存在という形でアトラクターを定義付けている{{Sfn|小室|2005|p=112}}。{{Harv|Strogatz|2015}} や {{Harv|Falconer|2006}} では、位相的推移性の代わりに {{Mvar|A}} が[[不変集合|極小集合]]であること、すなわち {{Mvar|A}} の全ての真部分集合が吸引集合の条件を満たさないことをアトラクターの定義としている{{Sfnm|Strogatz|2015|1p=353|Falconer|2006|2p=234}}。
 
[[File:位相推移的でないアトラクタ.svg|thumb|350px|{{math|''ẋ'' {{=}} ''x'' &minus; ''x''<sup>3</sup>, ''ẏ'' {{=}} &minus;''y''}} による2次元ベクトル場の例。灰色赤い線分の範囲 {{Math|(''x'' {{=}} [&minus;1, 1], ''y'' {{=}} 0)}} は吸引集合だがアトラクター(位相的推移的)ではない。]]
いずれにしても、吸引集合にさらに位相推移性や極小の条件を課す理由は、認定したアトラクターが実は独立したアトラクターの集まりであり、実際にはさらに細かく分けられるような事態を避けたいという動機による{{Sfnm|Devaney|2003|1p=179|Strogatz|2015|2p=354|Hirsch, Smale & Devaney|2007|3p=317}}。吸引集合の条件だけでは、軌道が最終的にどこに落ち着くのか曖昧だという欠点がある{{Sfnm|ウィギンス|2013|1p=47|松葉|2011|2p=119}}。この点を説明する例として良く出されるのが次の {{Math|'''''x''''' {{=}} (''x'', ''y'')<sup>&top;</sup>}} の2次元ベクトル場である{{Sfnm|ウィギンス|2013|1pp=46&ndash;47|Strogatz|2015|2pp=353&ndash;354|松葉|2011|3pp=119|Hirsch, Smale & Devaney|2007|4p=317}}。
 
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===点アトラクター===
[[File:Phase plane of damped pendulum.svg|thumb|250px|減衰振り子の点アトラクター。赤、青、緑の異なる初期値から出発した軌道が全て1点(原点)に収束する。]]
相空間上の1点から成へ収束するアトラクターを、'''点アトラクター'''({{Lang-en|point attractor|links=no}})という{{Sfnm|伊東|1993|1pp=13&ndash;15|合原|1993|2p=72|小室|2005|3p=45}}<ref name="井庭・福原">{{Cite book ja-jp |author = 井庭 崇・福原 義久 |year = 1998 |title = 複雑系入門 ―知のフロンティアへの冒険 |url = https://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100000834.html |publisher = NTT出版 |edition = 初版 |isbn = 4-87188-560-7 }} p. 69</ref>。つまり、軌道が1点に落ち着き、そこから離れなくなるような振る舞いを意味する{{Sfn|金子|2009|p=67}}。点アトラクターはもっとも簡単なアトラクターといえる{{Sfnm|上田|2008|1p=27|金子|2009|2p=67}}。点アトラクターという呼び方の他に、'''静止アトラクター'''{{Sfn|上田|2008|p=45}}<ref name="井庭・福原"/>、'''ポイントアトラクター'''{{Sfn|Thompson & Stewart|1988|p=iii}}<ref name="郷原"/>、'''固定点アトラクター'''{{Sfn|金子|2009|p=68}}、'''平衡点アトラクター'''{{Sfn|上田|2008|p=45}}<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 徳永 隆治 |year = 1992 |title = 応用で学ぶカオスとフラクタルの基礎 |journal = 電気学会論文誌D(産業応用部門誌) |volume = 112 |issue = 8 |publisher = 電気学会 |doi = 10.1541/ieejias.112.686 |page = 687 }}</ref>、'''不動点アトラクター'''{{Sfn|合原・黒崎・高橋|1999|p=228}}といった言い方もある。
 
[[固定点]]とは、時間変化しても相空間上で動かない点のことで{{Sfn|Strogatz|2015|pp=161, 382}}、連続力学系では[[平衡点]]、離散力学系では[[不動点]]とも呼び分けることもある{{Sfn|松葉|2011|p=32}}。固定点の周りの軌道がどのように振る舞うかは様々な可能性が考えられるが、近傍の軌道を引き付ける性質を持つ固定点を[[漸近安定]]であるという{{Sfnm|久保・矢野|2018|1p=192|Thompson & Stewart|1988|2p=109}}。点アトラクターとは、言い換えれば漸近安定な固定点のことである{{Sfn|上田|2008|p=45}}。ただし、点アトラクターを指して単に'''固定点'''{{Sfn|佐野|2001|p=85}}、'''平衡点'''{{Sfn|合原(編)|2000|p=15}}<ref name="井庭・福原"/>、'''不動点'''{{Sfn|グリック|1991|p=232}}ということもある。
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相空間上の[[軌道 (力学系)#特殊な軌道|周期軌道]]に収束するタイプのアトラクターを、'''周期アトラクター'''({{Lang-en|periodic attractor|links=no}}){{Sfnm|徳永|1990|p=70|小室|2005|2p=45}}<ref name="井庭・福原"/>や'''周期的アトラクター'''{{Sfn|Thompson & Stewart|1988|p=iii}}<ref name="郷原"/>という。
 
連続力学系では、周期軌道とは相空間上の1本の[[単純閉曲線]]であり、解はその線を沿って動き続ける{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012b|p=149}}。近傍の軌道が引き付けられる漸近安定な閉曲線と近傍の軌道が離れていく漸近不安定な閉曲線を、合わせて[[リミットサイクル]]と呼ぶ{{Sfn|郡・森田|2011|p=17}}。周期アトラクターとは漸近安定な[[リミットサイクル]]のことである{{Sfn|上田|2008|p=45}}。ただし、周期アトラクターを指して単に'''リミットサイクル'''と呼ぶこともある{{Sfnm|合原(編)|2000|1p=15|伊東|1993|2p=14&ndash;15|小室|2005|3p=45}}<ref name="井庭・福原"/>。離散力学系ではも、漸近安定な周期軌道([[周期点]]が周期アトラクターに対応する<ref name="青木">{{Cite book ja-jp |author = 青木 統夫 |title = 力学系・カオス ―非線形現象の幾何学的構成 |url = https://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/9784320033405 |year = 1996 |edition = 初版 |publisher = 共立出版 |isbn = 4-320-03340-X }} p. 2</ref>。離散力学系の場合、写像を[[反復合成写像|繰り返し合成]]したときにある繰り返し数で元の状態に戻る点列が周期軌道に相当する{{Sfn|Hirsch, Smale & Devaney|2007|p=338}}
 
周期アトラクターの場合、自励的連続力学系では {{Math|'''R'''<sup>2</sup>}} 以上から存在する{{SfnSfnm|Strogatz|2015|pp1pp=12&ndash;13}}{{Sfn|伊東|1993|p2p=80}}。周期アトラクターが現れる例として、次の[[ブラッセレーター|ブラッセレーター方程式]]がある{{SfnSfnm|Jackson|1994|pp1pp=288, 299}}{{Sfn|郡・森田|2011|pp2pp=20&ndash;22}}。
:<math>\dot{x} = a + x^2 y - (1+b)x </math>
:<math>\dot{y} = bx -x^2 y </math>
化学の[[振動反応]]をモデル化したものでブラッセレーターは、[[イリヤ・プリゴジン]]らが導入した化学の[[振動反応]]のモデルである{{SfnSfnm|Jackson|1994|pp1pp=288, 299}}{{Sfn|郡・森田|2011|pp2pp=20&ndash;22}}。{{Mvar|x}} と {{Mvar|y}} は時間変化する分子濃度を表す{{Sfn|郡・森田|2011|p=21}}。{{Mvar|a}} と {{Mvar|b}} も分子濃度を表すが、ここでは定常状態にあり、時間変化しない定数(パラメータ)だとする{{Sfn|郡・森田|2011|p=21}}。{{Math|(''a'', ''b'') {{=}} (1.0, 2.2)}} のとき、軌道が相平面上の軌道が周期軌道で閉曲線に接近していくのが観察できる{{Sfn|郡・森田|2011|p=22}}。
 
===準周期アトラクター===
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相空間上の[[準周期軌道]]に収束するタイプのアトラクターを、'''準周期アトラクター'''({{Lang-en|quasi-periodic attractor|links=no}}){{Sfnm|徳永|1990|1p=71|小室|2005|2p=45}}<ref name="井庭・福原"/>や'''概周期アトラクター'''<ref name="郷原">{{Cite journal ja-jp |author = 郷原 一寿 |year = 1996 |title = ダイナミカルシステムとしての生物 |journal = BME |volume = 10 |issue = 4 |publisher = 日本生体医工学会 |doi = 10.11239/jsmbe1987.10.4_3 |pages = 5&ndash;6 }}</ref><ref name="井庭・福原"/>という。
 
連続力学系では、準周期軌道とは相空間上の[[トーラス]]表面に巻きつく非閉曲線である{{Sfn|竹山|1992|p=44}}。準周期軌道はトーラス上を[[稠密集合|稠密]]に覆いつくし、ある点を通る準周期軌道はいくらでもその点の近くに戻って来る{{Sfn|Hirsch, Smale & Devaney|2007|p=122}}。準周期アトラクターを指して単に'''トーラス'''と呼ぶこともある{{SfnSfnm|合原(編)|2000|p1p=15}}{{Sfn|伊東|1993|p2pp=14&ndash;15}}。離散力学系では、準周期軌道とは、[[閉包 (位相空間論)|閉包]]を取ると[[円 (数学)|円]]に[[同相]]で、なおかつその閉包上で写像が[[単調写像|単調]]であるような軌道として定義できる{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=2}}。
 
自励的な連続力学系では、準周期アトラクターは {{Math|'''R'''<sup>3</sup>}} 以上の相空間に存在する{{Sfnm|徳永|1990|1p=70|伊東|1993|2p=15}}。[[ポアンカレ・ベンディクソンの定理]]によって、{{Math|'''R'''<sup>2</sup>}} の相空間には点アトラクターと周期アトラクターしか存在しないことが知られている{{Sfn|グーリック|1995|pp=240&ndash;241}}。準周期アトラクターが現れる例として、ウィリアム・ラングフォードがトーラスからカオスへの分岐を研究するために用いた次のラングフォード方程式が挙げられる{{SfnSfnm|合原(編)|2000|p1p=50}}{{Sfn|徳永|1990|pp2pp=70&ndash;71}}。
:<math>\dot{x} = (z - \beta)x - \omega y </math>
:<math>\dot{y} = \omega x + (z - \beta)y </math>
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===ストレンジアトラクター===
[[File:Lorenz attractor and its transients.png|thumb|330px|[[ローレンツ方程式]]で現れるストレンジアトラクター。赤、青、緑の異なる初期値から出発した軌道が、「チョウの1対の羽」{{Sfn|Strogatz|2015|p=348}}のような形をしたアトラクターに引き付けられる。]]
複雑な構造を持ち、軌道がカオスとなるタイプのアトラクターを、'''ストレンジアトラクター'''({{Lang-en|strange attractor|links=no}})という{{Sfn|井上・秦|1999|p=7}}。この命名は[[ダヴィッド・ルエール|デービット・リュエル]]と{{仮リンク|フロリス・ターケンス|en|Floris Takens}}による{{Sfn|グリック|1991|p=231}}。古くから知られていたアトラクターは、点アトラクター、周期アトラクター、準周期アトラクターの3つだけであった{{Sfn|小室|2005|p=45}}。ストレンジアトラクターというクラスのアトラクターは、コンピューターが発達して数値計算が実用になって以降の1960年代になって見つかった{{Sfn|小室|2005|p=45}}。他には、'''カオスアトラクター'''{{SfnSfnm|Thompson & Stewart|1988|p1p=27}}{{Sfn|小室|2005|p2p=45}}、'''カオティックアトラクター'''{{Sfn|徳永|1990|p=72}}、'''カオス的アトラクター'''{{SfnSfnm|徳永|1990|p1p=72|Strogatz|2015|2p=355}}、'''奇妙なアトラクター'''<ref>{{SfnCite book ja-jp |Strogatzauthor = 下條 隆嗣 |2015title = カオス力学入門 ―古典力学からカオス力学へ |purl =355 https://www.kindaikagaku.co.jp/physics/kd2005.htm |series = シミュレーション物理学6 |publisher = 近代科学社 |year = 1992 |edition = 初版 |isbn = 4-7649-2005-0}} pp. 96, 98</ref><ref>{{Cite book ja-jp |author = 船越 満明 |title = カオス | url = http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-11613-7/ |series = シリーズ 非線形科学入門3 |publisher = 朝倉書店 |year = 2008 |edition = 初版 |isbn = 978-4-254-11613-7 }} p. 148</ref>、'''フラクタルアトラクター'''{{SfnSfnm| Falconer|2006|p1p=235}}{{Sfn|Strogatz|2015|p2p=355}}といった言い呼び方もある。
 
力学系における[[カオス理論|カオス]]とは、大雑把に言えば、決定論的に確定した規則に従って生み出される複雑・不規則・不安定な振る舞いを指す{{Sfn|合原|1993|p=17}}。カオスの厳密な定義は専門家間でも微妙に異なっており、カオスの統一的な数学的定義は未だに存在していない{{SfnSfnm|松葉|2011|p1p=430}}{{Sfn|合原|1993|p2p=17}}。散逸系におけるカオスとはストレンジアトラクターを意味{{Sfn|合原・黒崎・高橋|1999|p=112}}。
 
「カオス」と同様、ストレンジアトラクターの広く共有された定義も存在していない{{SfnSfnm|上田|2008|p1p=87}}{{Sfn|Jackson|1994|p2p=161}}。ここではアトラクターの定義に合わせ{{Harv|ウィギンス|2013}} に沿ったストレンジアトラクターの定義を挙げる。集合 {{Mvar|A}} が位相的に推移的なアトラクターであり、かつ[[コンパクト集合|コンパクト]]であるとする。さらに {{Math|(''A'', ''&phi;'')}} あるいは {{Math|(''A'', ''f'')}} が以下の初期値鋭敏性を満たすとき、{{Mvar|A}} を'''ストレンジアトラクター'''と呼ぶ{{Sfn|ウィギンス|2013|pp=622&ndash;623, 626}}。
*連続力学系の場合:
**ある {{Math|''&delta;'' > 0}} が存在し、任意の {{Math|''x'' &isin; ''A''}} と任意の近傍 {{Math|''U''(''x'')}} に対して、{{Math|{{Abs|''&phi;''(''t'', ''x'') &minus; ''&phi;''(''t'', ''y'')}} > ''&delta;''}} を満たす {{Math|''y'' &isin; ''U''}} と {{Math|''t'' &isin; '''R'''}} が存在する。
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[[File:Self-similarity of Henon map.png|thumb|330px|[[エノン写像]]で現れるストレンジアトラクター(最上図)とその自己相似性(下図3つ)。{{Math|''n'' {{=}} 2<sup>20</sup>}} まで繰り返し計算した例。]]
多くのストレンジアトラクターの形は、自己相似形いわゆる[[フラクタル]]の構造となっている{{Sfn|合原|1993|pp=88, 90}}。実際、フラクタル構造を持つアトラクターを指してストレンジアトラクターの定義とする考え方もある{{SfnSfnm|井上・秦|1999|p1p=79}}{{Sfn|グーリック|1995|p2p=184}}<ref>{{Cite book ja-jp |author = B. マンデルブロ |others = 広中 平祐(監訳)|publisher = 筑摩書房 |title = フラクタル幾何学 上 |url = https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093561/ |series = ちくま学芸文庫 |year = 2011 |isbn = 978-4-480-09356-1 }} pp. 431&ndash;433</ref>。ただし、現在ではストレンジアトラクターを考える上ではフラクタル構造よりも初期値鋭敏性の方がより重要といわれる{{Sfn|Strogatz|2015|p=355}}。初期値鋭敏性がストレンジアトラクターの力学的(動的)な特徴付けであるのに対し、フラクタル構造はストレンジアトラクターの幾何学的(静的)な特徴付けといえる{{SfnSfnm|Jackson|1994|p1p=303}}{{Sfn|合原(編)|2000|p2p=121}}。
 
準周期アトラクターと同じく、自励的な連続力学系においてはストレンジアトラクターは3次元以上から存在する{{Sfnm|徳永|1990|1p=70|伊東|1993|2p=15}}。最初に広く知られた連続力学系のストレンジアトラクターは、[[エドワード・ローレンツ]]が[[熱対流]]の振る舞いをモデル化した次の[[ローレンツ方程式]]で現れる{{SfnSfnm|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012b|p1p=189}}{{Sfn|合原(編)|2000|pp2pp=41, 43}}。
:<math>\dot{x} = -\sigma x + \sigma y </math>
:<math>\dot{y} = -xz + rx - y </math>
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ローレンツが使用したパラメータは {{Math|(''&sigma;'', ''r'', ''b'') {{=}} (10, 28, 8/3)}} で、このときに存在するアトラクターは'''ローレンツアトラクター'''として有名である{{Sfn|合原|1993|pp=79&ndash;80}}。
 
ストレンジアトラクターのフラクタル構造は、離散力学系である次の[[エノン写像]]が観察しやすい{{SfnSfnm|合原・黒崎・高橋|1999|p1p=98}}{{Sfn|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|p2p=122}}。
:<math>x_{n+1} = 1 - a x_{n}^2n + y_{n} </math>
:<math>y_{n+1} = b x_n </math>
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ある軌道とある軌道が離れていく度合いを定量化したもの[[リアプノフ指数]]といい、{{Mvar|n}} 次元力学系であればリアプノフ指数は各方向に対応して {{Mvar|n}} 個存在する{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012b|p=1}}。このリアプノフ指数を大きい順に並べたもの {{Math|(''&lambda;''<sub>1</sub>, ''&lambda;''<sub>2</sub>, &hellip;, ''&lambda;''<sub>''n''</sub>)}} をリアプノフスペクトラムという{{Sfn|合原(編)|2000|p=163}}。リアプノフスペクトラムで各アトラクターの特性を説明すると以下のようになる。
;点アトラクター
:アトラクターすなわち固定点上からのズレは、全ての方向において吸引される{{Sfn|竹山|1992|p=41}}。よって、点アトラクターの全てのリアプノフ指数は負である{{SfnSfnm|合原(編)|2000|p1p=16}}{{Sfn|佐野|2001|p2p=85}}。
;周期アトラクター
:アトラクターすなわち閉曲線は周期軌道であるから、閉曲線上の2点は時間発展によって近づいたり離れたりしない{{Sfn|竹山|1992|pp=42&ndash;43}}。よって、周期アトラクターの閉曲線接線方向のリアプノフ指数は0であり、吸引的でも反発的もない{{SfnSfnm|合原(編)|2000|p1p=16}}{{Sfn|佐野|2001|p2p=85}}。閉曲線に垂直な方向のズレは全て閉曲線に吸引されるので、閉曲線に垂直な全ての方向のリアプノフ指数は負である{{Sfnm|合原(編)|2000|1p=16|佐野|2001|2p=85|竹山|1992|3pp=42&ndash;43}}。
;準周期アトラクター
:準周期アトラクターを {{Mvar|k}} 次元のトーラス({{Math|''k''-}}トーラス、{{Math|''k'' < ''n''}})だとする。周期アトラクターと同じように軌道方向は近づいたり離れたりせず、中立的である{{Sfn|竹山|1992|pp=44&ndash;45}}。よって、{{Math|''k''-}}トーラス上の軌道接線方向はリアプノフス指数 0 で、軌道に垂直でかつトーラス面内方向もリアプノフス指数 0 である{{SfnSfnm|竹山|1992|pp1pp=44&ndash;45}}{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p2p=7}}。結局、準周期アトラクターでは {{Mvar|k}} 個のリアプノフ指数が 0 である{{SfnSfnm|合原(編)|2000|p1p=16}}{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p2p=7}}。それ以外のトーラス面に対して垂直な全ての方向では、リアプノフ指数は負である{{SfnSfnm|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p1p=7}}{{Sfn|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|p2p=267}}。
;ストレンジアトラクター
:ストレンジアトラクターは、初期値鋭敏性を持つために少なくとも1つのリアプノフ指数が正である{{SfnSfnm|佐野|2001|p1p=86}}{{Sfn|合原(編)|2000|p2p=16}}。軌道接線方向はリアプノフ指数 0 である{{SfnSfnm|佐野|2001|p1p=86}}{{Sfn|合原(編)|2000|p2p=16}}。残りのリアプノフ指数は負であり、さらに相空間の体積要素が縮小していくという散逸系の特性にしたがって、全てのリアプノフ指数の和は負になる{{Sfn|佐野|2001|p=86}}。
以上のような各アトラクターに対する指標・特性をまとめると、以下の表のようになる。
 
162行目:
|| {{Mvar|n}} 未満の非整数
|-
| {{Mvar|n}} 次元相空間に対するの場合のリアプノフスペクトラム{{Sfn|合原(編)|2000|p=16}}
|| {{Math|''i'' {{=}} 1,&hellip;, ''n''}} で {{Math|''&lambda;<sub>i</sub>'' < 0}}
|| {{Math|''i'' {{=}} 1}} で {{Math|''&lambda;<sub>i</sub>'' {{=}} 0}}<br />
172行目:
{{Math|''i'' {{=}} ''m''+1,&hellip;, ''n''}} で {{Math|''&lambda;<sub>i</sub>'' < 0}}
|-
| 3次元相空間の場合のリアプノフスペクトラム{{SfnSfnm|佐野|2001|p1p=85}}{{Sfn|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|p2p=268}}
|| {{Math|''&lambda;''<sub>1</sub> < 0 }}<br />
{{Math|''&lambda;''<sub>2</sub> < 0 }}<br />
186行目:
{{Math|''&lambda;''<sub>3</sub> < 0 }}
|-
| パワースペクトルの様相{{SfnSfnm|竹山|1992|pp1pp=58&ndash;61}}{{Sfn|井上・秦|1999|p2p=45}} || - || 1個の基本振動数とその整数倍で線スペクトル || {{Mvar|k}} 個の基本振動数とその整数倍、およびそれらの差・和の組み合わせで線スペクトル || 連続スペクトル
|}
 
192行目:
1つの系に存在するアトラクターは1つとは限らず、1つの系に複数のアトラクターが共存できる{{Sfn|井上・秦|1999|p=61}}。1つの系に多数のアトラクターが併存することは珍しくなく、無限個のアトラクターを持つような系を考えることもできる{{Sfnm|Thompson & Stewart|1988|1p=iv|早間|2002|2p=84|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|3p=93}}。点アトラクターと周期アトラクター、点アトラクターとストレンジアトラクターなど、複数の種類のアトラクターが同時に存在することもある{{Sfn|Thompson & Stewart|1988|p=iv}}。
 
アトラクターが複数存在するときは、ベイスンの棲み分けが起き、初期条件に応じてどのアトラクターに引き込まれるかが決まる{{SfnSfnm|金子|2009|p1p=69}}{{Sfn|早間|2002|p2p=84}}。種類の異なる振る舞いごとに相空間を分ける軌道を[[セパラトリックス]]といい{{Sfn|松葉|2011|p=15}}、ベイスン同士の境界線のこともセパラトリックスという{{Sfn|上田|2008|p=7}}。アトラクターが複数ある場合、リアプノフ指数のような各種指標もアトラクターごとに固有である{{Sfn|井上・秦|1999|p=61}}。
 
===複雑なベイスン===
210行目:
特に、単純な振る舞いがいくつかの分岐を経てカオス的振る舞いへ変わる道筋は、'''カオスへのルート'''({{Lang-en|route to chaos|links=no}})などと呼ばれる{{Sfnm|徳永|1990|1p=98|松本・徳永・宮野・徳田|2002|2p=20|合原・黒崎・高橋|1999|3p=31}}。広く認知されているカオスへのルートには、'''周期倍分岐ルート'''、'''間欠ルート'''、'''準周期崩壊ルート'''の3つがある{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=21}}。周期倍分岐ルートでは、周期アトラクターが有限のパラメータ範囲の中で[[周期倍分岐]]を無限回繰り返してカオスに至る{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=21}}。周期倍分岐とは {{Mvar|k}} 周期の安定閉軌道が {{Mvar|k}} 周期の不安定閉軌道と {{Math|2''k''}} 周期の安定閉軌道と分岐する現象で{{Sfn|グーリック|1995|p=48}}、無限の周期倍分岐の列は周期倍カスケードとして知られる{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012b|p=192}}。間欠ルートでは、カオス的不変集合を潜在的に伴っていた周期アトラクターがサドルノード分岐で消滅し、ストレンジアトラクターが現れる{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=21}}{{Sfn|徳永|1990|p=105}}。周期アトラクター消滅後にも、カオス軌道の中で元の周期的な振る舞いが一定時間ごとに(間欠的に)起こる特徴を持ち、このような振る舞いを間欠性カオスという{{Sfn|徳永|1990|p=104}}{{Sfn|佐野|2001|pp=69&ndash;70}}。準周期崩壊ルートとは、準周期アトラクターが位相ロッキングと呼ばれる振動数比の有理数化(すなわち周期アトラクター化)を経てカオスに至る道筋である{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=21}}{{Sfn|徳永|1990|pp=100&ndash;104}}。最終的なカオスへの遷移自体は、上記の周期倍カスケードや間欠カオスによって起こる{{Sfn|佐野|2001|pp=70&ndash;71}}{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=21}}。
 
特に周期倍分岐ルートはもっとも有名なカオス発生の道筋で、多数の低次元系で周期倍カスケードの例が見つかってきた{{Sfn|井上・秦|1999|p=97}}{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012c|p=110}}。周期倍分岐ルートは上述の[[ローレンツ方程式]]や[[エノン写像]]でも起き{{SfnSfnm|ベルゲジェ・ポモウ・ビダル|1992|pp=290&ndash;291}}{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012c|pp2pp=113&ndash;114}}、他には[[レスラー方程式]]
:<math>\dot{x} = -y - z </math>
:<math>\dot{y} = x +a y </math>
216行目:
で起こるものなどが知られる{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012b|pp=190&ndash;193}}{{Sfn|佐野|2001|p=67}}。
 
<gallery caption="レスラー方程式のアトラクターの分岐{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012b|p=193}}。図は{{Mvar|xy}}-平面へ射影した軌道を示し、パラメータは {{Math|''a'' {{=}} 0.1}} と {{Math|''b'' {{=}} 0.1}} を固定で、{{Mvar|c}} を変化させている。パラーメータ値の選択は {{Harv|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012b|p=193}} と同じ。" mode="nolines" widths=250px heights=300px>
File:RosslerC4.svg | ''c'' = 4.0(1周期アトラクター)
File:RosslerC6.svg | ''c'' = 6.0(2周期アトラクター)
244行目:
アトラクターの再構成を行う上でまず問題となるのは、埋め込み次元 {{Mvar|m}} と時間遅れ {{Mvar|&tau;}} をどう決めるのかである{{Sfn|Strogatz|2015|pp=480&ndash;481}}{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|pp=40, 49}}。埋め込み次元については、定理上は {{Math|''m'' > 2''d''}} であれば埋め込みであることが保証されるが、これは[[十分条件]]であり、{{Mvar|m}} がこれ以下でも埋め込みとなることはあり得る{{Sfn|合原(編)|2000|p=75}}。埋め込み次元が小さいと、再構成された曲線で摂動でも消えない自己交差が起き、1対1とならない{{Sfn|アリグッド・サウアー・ヨーク|2012c|pp=160&ndash;161}}。しかし、埋め込み次元を大きく取り過ぎると、計算コストの問題や予測への悪影響が出てくる<ref name="鈴木"/>。そのため、先にアトラクターの次元を推定する<ref name="鈴木">{{Cite journal ja-jp |author = 鈴木 秀幸 |year = 1998 |title = Takensの埋め込み定理 |journal = 日本ファジィ学会誌 |volume = 10 |issue = 4 |publisher = 日本知能情報ファジィ学会 |doi = 10.3156/jfuzzy.10.4_82 |pages = 664&ndash;665 }}</ref>。カオス時系列の解析において標準的に利用されている手法は、ボックスカウント次元の代わりに[[相関次元]]を使うもので、{{仮リンク|ピーター・グラスバーガー|en|Peter Grassberger}}と{{仮リンク|イタマー・プロカッチャ|en|Itamar Procaccia}}が導入した[[GPアルゴリズム]]で比較的容易に相関次元を計算できる{{Sfn|合原(編)|2000|p=132}}{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|pp=55&ndash;56}}。埋め込み次元を増やしながら再構成したアトラクターの相関次元を計算し、相関次元の増加が頭打ちになったとき、このときの相関次元値をアトラクターの次元とし、このときの埋め込み次元を最適な {{Mvar|m}} 値とする{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=55}}。他には、アトラクター次元推定を行わずに、埋め込み次元が不足していることで生じる自己交差が解消される {{Mvar|m}} 値を設定された指標を使って推定する手法もある{{Sfn|合原(編)|2000|pp=75&ndash;80}}{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|pp=59&ndash;64}}。
 
一方の時間遅れ {{Mvar|&tau;}} については、埋め込み定理上では任意でよく、値の設定に制限がない{{Sfn|合原(編)|2000|p=66}}{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=49}}。しかし実際には {{Mvar|&tau;}} が小さ過ぎると、変換後のデータの相関が高く成り過ぎて、再構成されたアトラクターの形状は細長くつぶれてしまう{{Sfnm|合原(編)|2000|1p=67|佐野|2001|2p=95|伊東|1993|3p=70}}。あるいは {{Mvar|&tau;}} が大き過ぎると、特にストレンジアトラクターでは軌道不安定性によって相関がほとんど無相関となり、再構成されたアトラクターは雑音のような煩雑な形になる{{Sfn|合原(編)|2000|p=67}}{{Sfn|伊東|1993|p=70}}。一つの方法は、アトラクターの平均的な周期の 1/2 から 1/10 程度の値に設定する方法がある{{Sfn|Strogatz|2015|p=481}}。もう一つの方法は、時間遅れの値を増やしながら時系列データの[[自己相関関数]]を計算し、自己相関関数が最初の極小値あるいは 0 とみなせる値になったときの時間遅れを最適な {{Mvar|&tau;}} の値とする方法がある{{Sfn|合原(編)|2000|p=72}}{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|pp=50&ndash;51}}。ただし、時間遅れの最適値の決定法については、これらも含めて様々な手法が提案されているが現在のところ優劣の結論は出ていない{{Sfn|合原(編)|2000|pp=68&ndash;69}}。
 
===実現象への適用===
以上のような時間遅れ座標系への変換を利用した手法は、一般的な信号解析では把握が難しい現象、特にカオスが関わる複雑な非線形信号データの解明に有効な手法の一つである<ref>{{Cite book ja-jp |author = 馬杉 正男 |title = 信号解析 ―信号処理とデータ分析の基礎 |url = https://www.morikita.co.jp/books/mid/078631 |edition = 第1版 |publisher = 森北出版 |year= 2013 |isbn = 978-4-627-78631-8 }} pp. 107&ndash;108</ref>。実現象の実験測定データからアトラクターの再構成が成功した事例としては、化学振動反応の[[ベロウソフ・ジャボチンスキー反応]]でのストレンジアトラクターや2円筒間の[[テイラークエット流れ]]での準周期振動がある{{Sfn|伊東|1993|pp=70&ndash;79}}。再構成の手法を使って様々な実現象の中にカオスの証拠を見出す問題が取り組まれてきている{{Sfn|Strogatz|2015|p=482}}。
 
再構成の手法を使って様々な実現象の中にカオスの証拠を見出す問題が、これまでに取り組まれてきている{{Sfn|Strogatz|2015|p=482}}。再構成されたアトラクターを利用した将来予測も研究されている{{Sfn|合原|1993|1pp=166&ndash;167|伊東|1993|pp=108&ndash;109}}。カオスでは高精度な長期予測は原理的に不可能だが、同時にその振る舞いは決定論的に定まっているので、短期予測の精度向上の可能性は残されている{{Sfnm|合原|1993|1pp=158&ndash;159|合原(編)|2000|p=9}}。また、再構成されたアトラクターを応用した異常検出・モニタリング技術も研究されている{{Sfn|合原|1993|p=171}}。アトラクターの構造はそのシステムの変化に反応して変化するため、正常な状態のアトラクターと異常な状態のアトラクターを用意しておき、現在の状態をこれらと照らし合わせることで状態監視を行う{{Sfn|合原|1993|p=171}}。ねじのボルト、転がり軸受、ポンプ、プラントなどを対象に、再構成されたアトラクターを応用した異常検出の研究例がある<ref>
ただし、時系列データから系の力学系的性質を結論付けるのは難しい問題である{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=136}}。上手くいかなかった例としては、1984年に行われた酸素原子同位体濃度にもとづく過去100万年の気候ダイナミクスの研究では、この気候ダイナミクスが4次元程度の低次元カオスである可能性が示唆されたが、後で否定されている{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=135}}{{Sfn|伊東|1993|pp=95&ndash;96}}。特に、実験系ではない純粋な自然現象を対象とする場合は、測定データ数が限られてしまうという点やダイナミクスの要因自体が長期間の間に変動する可能性も解析を難しくしている{{Sfn|伊東|1993|pp=96&ndash;97}}。
*{{Cite journal ja-jp |author = 広兼 道幸, 大江 眞紀子, 小西 日出幸, 鈴木 直人 |year = 2013 |title = 鋼橋の高力ボルト軸力診断へのカオス理論の適用に関する研究 |journal = 土木学会論文集F6(安全問題) |volume = 69 |issue = 2 |publisher = 土木学会 |doi = 10.2208/jscejsp.69.I_63 |pages = I_63-I_68 }}
*{{Cite journal ja-jp |author = 小川 敏弘, 関口 泰久, 中川 紀壽 |year = 2003 |title = カオス時系列解析を用いた転がり軸受の異常診断 |journal = 日本機械学会九州支部講演論文集 |volume = 2003 |publisher = 日本機械学会 |doi = 10.1299/jsmekyushu.2003.35 |pages = 35-36 }}
*{{Cite journal ja-jp |author = 中川 紀壽, 関口 泰久, 吉田 博一 |year = 2001 |title = カオス時系列解析による転がり軸受の異常診断 |journal = 中国四国支部総会・講演会 講演論文集 |volume = 2001.39 |publisher = 日本機械学会 |doi = 10.1299/jsmecs.2001.39.293 |pages = 293-294 }}
*{{Cite journal ja-jp |author = 花熊 克友, 山本 順三 |year = 1999 |title = ポンプ異常検出に対する信号解析法の検討 |journal = 化学工学論文集 |volume = 25 |issue = 6 |publisher = 化学工学会 |doi = 10.1252/kakoronbunshu.25.1033 |pages = 1033-1036 }}
*{{Cite journal ja-jp |author = 花熊 克友, 中矢 一豊, 佐々木 隆志, 中西 英二 |year = 1995 |title = アトラクタと多重解像度解析による異常信号の検出法 |journal = 化学工学論文集 |volume = 21 |issue = 1 |publisher = 化学工学会 |doi = 10.1252/kakoronbunshu.21.89 |pages = 89-94 }}</ref>。
 
ただし、時系列データから系の力学系的性質を結論付けるのは難しい問題である{{Sfn|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p=136}}。上手くいかなかった例としては、1984年に行われた酸素原子同位体濃度にもとづく過去100万年の気候ダイナミクスの研究では、この気候ダイナミクスが4次元程度の低次元カオスである可能性が示唆されたが、後で否定されている{{SfnSfnm|松本・徳永・宮野・徳田|2002|p1p=135}}{{Sfn|伊東|1993|pp2pp=95&ndash;96}}。特に、実験系ではない純粋な自然現象を対象とする場合は、測定データ数が限られてしまうという点やダイナミクスの要因自体が長期間の間に変動する可能性も解析を難しくしている{{Sfn|伊東|1993|pp=96&ndash;97}}。
 
[[File:Trajectories of knee joint angle reconstructed in state space by delay embedding.png|thumb|center|650px|歩行中のひざ角度を実験測定し、時間遅れ座標系で再構成した例。TPWSは歩行のフルード数から計算される快適な歩行速度で、図はゆっくり歩いた実験結果(20% TPWS)から早く歩いた実験結果(180% TPWS)までを示す<ref>Raffalt, P., Guul, M., Nielsen, A. et al. Economy, Movement Dynamics, and Muscle Activity of Human Walking at Different Speeds. Sci Rep 7, 43986 (2017). https://doi.org/10.1038/srep43986</ref>。]]