「江原正士」の版間の差分

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=== 経歴 ===
<!--役の引継ぎに関しては混乱の原因になりますので書かないようにお願いします-->
[[東京都立千歳丘高等学校]]卒業<ref name="meikan"/><ref name="career5">{{Cite journal|和書 |author=|coauthors=|year=1978|month= 6|title = セチュアンの善人と… 出演者たちのプロフィール|journal = 1978年『セチュアンの善人』パンフレット|pages=19 |publisher=劇団青年座 |quote=}}</ref>。学生時代に[[チャールズ・チャップリン]]の映画を観て彼に憧れを抱いたことから芸能の道を選び夢見る。最初は役者ではなく映画監督を志しており<ref name="interview10">{{Cite web |url=http://www.movieplus.jp/square/fukikae/1704.html |title= 吹替王国 #9 声優:江原正士 |publisher= [[ムービープラス]]| |accessdate=2017-03-31 |archivedate = 2018-06-15 | archiveurl = https://archive.ph/RXpzV}}</ref><ref>{{Cite web |url= https://cinematoday.jp/page/N0065102|title= ベテラン声優・江原正士、高木渉、森川智之がチャップリンに!|publisher= シネマトゥデイ|accessdate=2017-03-31}}</ref><ref>{{Cite web |url= http://dramanavi.net/news/2014/10/3-27-1.php|title= 江原正士、森川智之、堀内賢雄、豪華声優陣による"3人のチャップリン"が登場!? 第27回東京国際映画祭|publisher= 海外ドラマNAVI|accessdate=2017-03-31}}</ref>、趣味で[[8ミリ映画]]を撮っていた<ref name="interview14">{{Cite journal|和書 |author=|coauthors=|year=1996|month= 2|title=江原正士 キネマの殿堂でインタビュー|journal = ハートフル・ボイス |pages=130-133 |publisher=[[メディアックス]] |quote=}}</ref>。ある日、監督業を学びたいと銀座にあった[[東宝|]]の事務所を訪問し、浜松町の東宝芸能アカデミー]]に通うを紹介される<ref name="career5" /><ref name="interview15">{{Cite web |url=https://www.youtube.com/watch?v=lalfsP_1ZCg&t=984s |title= 声優を意識したきっかけとは!?【日髙のり子のボイスアクターズ】#3 江原正士さんに10の質問! |date=2021-09-14|accessdate= 2021-09-14}}</ref>。そしてそこが俳優養成所であることを入所後に知るが通い続けた<ref name="interview15"/>。
 
最初は役者志望ではそん映画監督志望で[[8ミリ映画]]を撮っていた<ref name="interview14">{{Cite journal|和書 |author=|coauthors=|year=1996|month= 2|title=江原正士 キネマの殿堂でインタビュー|journal = ハートフル・ボイス |pages=130-133 |publisher=[[メディアックス山本嘉次郎]] |quote=}}</ref>。そんな折、ある年配の男性映画監督による講義で、映画『商船テナシチー』のワンシーンを女優志望の学生が棒読みで演じた後、その監督山本が参考として実演した姿が、年配だったにもかかわらずその場にいた女性たちよりも一番女性らしくみえ<ref name="interview15"/>、その表現の見事さに驚いたと同時に「表現とは何か」と思い立って芝居を勉強しようと決め、色々な表現に触れるためダンスや[[上方舞]]などのレッスンを受けた<ref name="interview10" /><ref name="interview14"/><ref name="interview12">{{Cite web |url=http://www.fukikaeru.com/?p=6359 |title= ふきカエルインタビュー後編 |date=2017-04-04 |accessdate= 2017-04-04}}</ref>。そして[[仲代達矢]]の舞台を観劇し、日本人離れした迫力に魅入られ、追いかけるように仲代の舞台を観に行っていた<ref name="interview12" />。ある日、舞台『[[リチャード三世 (シェイクスピア)|リチャード三世]]』を観劇した日が学生の観覧日で、学生だらけで騒々しい会場を静まり返らせるその表現方法の凄さに改めて感動し、心が舞台に向いていきミュージカル路線転換前で[[新劇]]も上演していた[[劇団四季]]のオーディションを受け合格、所属する<ref name="interview12" /><ref name="interview15"/>。[[浅利慶太]]からは江原が、「四季の芝居とは正反対の芝居する」と嬉しそうにいわれたという<ref name="interview15"/>。そこでセリフの発声法など演技の基礎を磨き<ref name="career5" /><ref name="career2">{{Cite journal|和書 |author=千野幸一|coauthors=|year=1979|month= 12|title = 「椿姫」の出演者たち|journal = 1979年 日生劇場『椿姫』パンフレット|pages=24 |publisher=[[松竹]] |quote=}}</ref><ref name="career3" /><ref name="career4">{{Cite journal|和書 |author=|coauthors=|year=1982|month= 6|title=出演者の顔|journal = 1982年 劇団昴公演 『ヘンリー四世 騎士フォールスタフの滑稽譚』パンフレット|pages=9 |publisher=現代演劇協会 |quote=}}</ref>、劇団の仕事で『[[若草物語]]』のローリー役を演じ声優デビューした<ref name="interview">{{Cite web |author=村上健一 |url=http://video.foxjapan.com/library/fukikae/interview/interview07/ |archivedate = 2018-07-08 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20180708162416/http://video.foxjapan.com/library/fukikae/interview/interview07/|title= 江原正士インタビュー |publisher=[[20世紀フォックス]] |date=2010-09-29 |accessdate= 2013-04-27}}</ref><ref name="interview12" />。その間に観劇した舞台での[[西田敏行]]の演技に感動し、約3年間在籍した四季を退団して[[劇団青年座]]映画放送部に移籍する<ref name="career5" /><ref name="career2" /><ref name="career3" /><ref name="career4" />。映画放送部だったため主に出演していた舞台は青年座が主催する青年座劇場の公演ではなく、地方巡業した[[緒形拳]]主演の『王将』や[[神保共子]]・[[井川比佐志]]・西田敏行出演の『セチュアンの善人』など当時青年座のプロデューサーだった金井彰久が企画・製作した作品<ref name="career5" /><ref>{{Cite journal|和書 |author=|coauthors=|year=1978|month= 8|title=出演者|journal = 1978年 『王将』パンフレット |pages=15 |publisher=劇団青年座 |quote=}}</ref>、その他[[民主音楽協会|民音]]や[[全国演劇鑑賞団体連絡会議|労演]]等の演劇鑑賞団体が企画した作品といった外部の舞台劇だった<ref name="career2" />。
 
その後青年座を退団し、1981年から劇団員が吹き替え声優として活躍することが多い[[劇団昴]]<ref>{{Cite web|date=2014-01-20|url=http://video.foxjapan.com/library/fukikae/interview/interview24/ |title=「吹替の帝王」『スピード』インタビュー集|publisher=20世紀フォックス |accessdate=2015-03-10}}</ref> に所属し<ref name="interview" /><ref name="career3">{{Cite journal|和書 |author=|coauthors=|year=1989|month= 6|title = 演出家・出演者プロフィール|journal = 1989年 劇団昴公演 『セールスマンの死』パンフレット|pages=9 |publisher=現代演劇協会 |quote=}}</ref>、昴の公演や[[商業演劇]]などの舞台俳優として活動する傍ら<ref name="career3" /><ref name="career">{{Cite book |title=BOOK著者紹介情報 |publisher=[[日外アソシエーツ]] }}</ref>、俳優として[[大河ドラマ]]や[[2時間ドラマ]]などに出演したり、映画の吹き替えなど声優としても本格的に活動を始める<ref name="career3" /><ref>{{Cite web |url=https://www.aoni.co.jp/search/ebara-masashi.html |title= 江原正士 |publisher=[[青二プロダクション]] |accessdate= 2018-01-30}}</ref>。次第に吹き替えの仕事が増え、収録で朝から晩までスタジオに入ることが多くなるなど<ref name="interview10" />、声優の仕事の比重が大きくなったため舞台への出演が減少した<ref name="career3" />。1990年に昴を退団し[[81プロデュース]]{{R|talent}}に所属してからは主に声優として活動し<ref name="interview2">{{Cite web |url=http://www.fujitv.co.jp/jp/kumorepo/doubt/doubt.html |title= 江原正士さんに聞く |publisher=[[フジテレビジョン|フジテレビ]] |accessdate= 2013-04-27 |archivedate = 2001-09-11 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20011109154804/http://www.fujitv.co.jp/jp/kumorepo/doubt/eva.html | deadurl = May 11, 2013}}</ref>{{refnest|group="注"|劇団時代から声優としての活動が多かったため、江原本人は劇団員時代と現在の差があまりなく、いつからが区切りかの概念がないという<ref name="interview2" /><ref name="interview4" />。}}、2017年1月に退所。フジテレビで月曜深夜に放送されていた『[[二か国語]]』には顔出しで出演し、毎回1本の海外映画を紹介した後その中の台詞を取り上げ、番組独自の翻訳で解説進行するキャスターを1994年から2002年まで8年間務めた<ref name="career" />。