「豊田正作」の版間の差分

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1841 年(天保 12年)(49歳)尊徳が幕府に登用されると報徳方の勤番を命ぜられ、やがて小田原に赴任する。このころ御徒目付となる。その後山崎金五右衛門らとともに、仕法を推進しようとしたが、畳お気にて挫折。失意の晩年となり、小田原報徳社の世話をする程度にとどまる。<ref> (尊徳門人聞方集参照)</ref>
 
== 報徳記における豊田正作 ==
小田原の役人豊田正作という者は性格がはなはだ剛奸で先生の徳行を嫌ってその事業を妨げた。先生の処置する所はことごとくかたよって道理に合わない論でこれを破り、村の中に出れば、