「一柳可遊」の版間の差分

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[[一柳氏]]の出身で、[[一柳直高]]の弟の藤兵衛の子{{sfn|一柳貞吉|1933|p=70}}。[[一柳直末]]・[[一柳直盛|直盛]]兄弟には従兄弟にあたる{{sfn|一柳貞吉|1933|p=70}}{{sfn|小和田哲男|2002|p=(Kindle版位置No.1251/2673)}}。
 
もともとは[[斎藤道三]]の家臣だったという。従兄弟の一柳直末らとともに[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]に仕え、秀吉[[近江国]][[長浜城 (近江国)|長浜城]]主となった頃に[[黄母衣衆]]の一人に選ばれtた(「一柳弥三右衛門」の名で挙げられる)<ref name="zokugunshoruiju20_472"/>。
 
天正19年([[1591年]])に豊臣秀次に附けられたとされ{{efn|小和田(2002)は、子孫の「伊予大洲藩一柳家系図」によれば、天正19年(1591年)に秀次に附けられて桑名城主6万石となり、秀次の後見役になったという(出典として児玉和男「謎の武将一柳右近大夫可遊」『伊豫史談』309号を引いている){{sfn|小和田哲男|2002|p=(Kindle版位置No.1257/2673)}}。}}、[[伊勢国]]桑名の領主となる。この時に[[桑名城]]を築城した。天正期には伊勢国三重郡に領地を持っていたことが確認される{{sfn|大石学|1988|p=198}}。