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=== 王太后・太王太后時代 ===
[[ファイル:Queen Mary with Princess Elizabeth and Margaret.jpg|thumb|180px|孫の[[エリザベス2世|エリザベス王女]](後のエリザベス2世女王)、[[マーガレット (スノードン伯爵夫人)|マーガレット王女]]とともに(1939年5月)]]
夫ジョージ5世と死別し、長男[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]が王位に就くと、メアリーは王太后となったが、王室に及ぼす影響力は相変らず強いままだった。王太后としての責務を重要視し、中でも[[イギリス王室]]の品位を汚すような言動に対しては、自身の子供たちに対しても極端なまでに厳格な対応を取るようになった。特に、エドワード8世が最終的に[[ウォリス・シンプソン]]と婚約する意思を表明し、結婚に対して国中から強い反発が沸き起こった際には、[[エドワード8世の退位|彼の退位]]に相当なまでの影響力をかけたことは、つとに有名である。
 
他にも、生来病弱な上に[[吃音症|吃音]]の障害をかかえる次男[[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]に対して、国民から国王としての適性を不安視する声があがったり、三男グロスター公ヘンリーが[[同性愛]]者であるとの疑惑が浮上したりするなど、子供たちに関するスキャンダル等への火消しにも強い態度で臨み続けた。