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== 概略 ==
[[丸山真男]]は『[[現代政治の思想と行動]]』において、満州事変以前の[[ファシズム]]時代が到来するまでに相当な準備期間があり、大正末期に赤化に対抗する運動が続出し、大日本国粋会のような団体は左翼運動への直接的対抗、主にストライキに対するスト破り、左翼系の労働組合、農民組合乃至水平社に対する暴力的襲撃を行ったが、積極的な国内改造のプログラムをあまり持っていないためファシズム組織というより「反動団体」と見ることができるとしている(前掲書P33)。
全愛会議の事務局長を務めた荒原朴水は『大右翼史』において、大正末に社会運動における主流の座を共産主義が占めるに至り、これが国家主義運動を刺激され各種団体が結成されたが、当時の陣営は国粋運動と国内改造運動に大別され、大日本国粋会を含む前者は忠君愛国の精神に基き、国体の崇敬擁護、日本古来の伝統的精神の保存宣揚を根本信条とし、外来急進思想の流入蔓延を防止克服せんとする主旨のもとで結成されたが、運動において過激な、または直接行動となったようでもあるとしている(前掲書P52-53)。
[[社会主義]]の台頭に対抗するために[[1919年]]{{small|(大正8年)}}設立された官製色の濃い[[右翼団体]]・大日本国粋会を源流とする組織。[[大正時代]]の[[任侠]]は世間から一目置かれる存在であり、当時の[[右翼団体]]も、必ずしも反社会組織とはみなされず、[[国粋主義]]の思想団体としての側面があった。また実生活においては係争の仲裁、調停役として機能していた。そのため会員も[[華族]]、[[宮内省]]関係者、[[政治家]]、[[軍]]関係者、[[警察]]、地元の[[名士]]、一般人などを包含していた。この団体を源流として再興された組織が現在の国粋会で、独立した[[指定暴力団]]であったものの、[[2005年]]{{small|([[平成]]17年)}}に[[山口組]]の二次団体となった<ref name="npa_h21"/>。