「高間省三」の版間の差分

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*浅野長政([[豊臣秀吉]]の五奉行の首座に列していた・[[太閤検地]]の奉行)時代は、奉仕順(旧浅野・臣録による)では第6位にあった。[[関ヶ原の戦い]]では浅野家は[[徳川家康]]についたことから甲府、紀州和歌山、広島へと転封してくる<ref>高間家・御判物および書状
 
浅野長吉(長政・天正16年)、浅野左京夫(幸長・文禄3年、慶長6年)、浅野長晟(元和6年)、浅野綱長(延宝2年、元禄13年)、浅野吉長(宝永7年)、浅野重晟(明和3年)、浅野斎賢(享和2年、文化5年)</ref>。
* 広島の浅野宗家の家臣団では、高間家は最古参に世臣である。8代高間正益に男子がなく、広島藩の御用人本役の千石取りだった奥勘十郎の第三子・[[高間寛八|多須衞]](たすえ)が高間家に入って9代目を継いだ。高間多須衞は武具奉行を経て、[[八条原城]]の築城奉行、大監察になる。
* 高間省三はその多須衞の長男で、誉れ高い秀才だった。浅野家の藩主父子は高間省三の戦死を悼み、多須衞あてに個人の感謝状とともに50石の加増がおこなわれた。広島藩における[[戊辰戦争]]の従軍兵は、[[神機隊]]の他の諸隊を含めると2700人余り。生死を問わず、そのなかで最高の行賞である。
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