「賀茂氏」の版間の差分

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[[1903年]]([[明治]]36年)まで[[児島郡]]に[[上加茂村 (岡山県児島郡)|上加茂村]]と[[下加茂村 (岡山県)|下加茂村]]があったが、合併して[[荘内村 (岡山県)|荘内村]]となった。なお、鴨神社や加茂神社があり、両神社の間を鴨川が流れている。特に鴨神社は平安期初頭に創建され、[[大和国]][[葛上郡]]加茂の[[高鴨神社]]から[[アヂスキタカヒコネ|味鋤高日子根命]]を祭神として勧請した。[[延喜]]初年の創建とされる児島郡内最古の神社であり、[[延喜式神名帳]]では備前国式内23社の内の1社である。
 
[[備中国|備中]][[連島]]([[戦国時代 (日本)|戦国時代]]以前は備前国児島郡都羅郷)の、連嶋町史(昭和31年発行、発行者 連島町誌編纂会)第八章 連島の古城址に、[[北茂城]]の城主として、[[1735年]]([[享保]]20年)に編纂された『古戦場備中府志』([[平川親忠]]著)巻の五 [[浅口市|浅口郡]]の条下には、当城主に[[吉備真備|吉備大臣]]の[[嫡孫]][[京職|右京夫]][[賀茂光栄|光栄]]としている。伝云、[[孝謙天皇]][[天平勝宝]]四年五月賀茂朝臣を賜る、[[天文暦数]]を掌る、一家両道を兼ねて宝器を保つ、[[暦道]]を以て其子光栄に伝へ[[天文道]]を以て弟子[[安倍晴明|安部の晴明]]に伝う、自此己後両道相分つ云々と記述されている。この伝云う記事は『[[右大臣吉備公傳纂釈]]』より引用したものと思われ、[[重野安繹]]『右大臣吉備公傳纂釈』(『岡山県通史』上編374頁 編著永山卯三郎)には、或いは伝う[[陰陽道]]博士[[賀茂保憲]]は[[吉備真備|吉備公]]の裔なり、[[天文博士]]を兼ね、[[973年]] - [[975年]](天延中)に暦を造り暦道を其子光栄に伝へ[[天文道]]を[[安倍晴明|安部晴明]]に伝うとの記事があることから、右京夫光栄は[[賀茂光栄]]であったことになるが、納得し兼ねるとしている。
 
== 脚注 ==
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