「小笠原真方」の版間の差分
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| 氏族 = [[小笠原氏#信濃小笠原氏|府中小笠原氏]]
| 父母 = [[父]]:[[小笠原忠真]]、[[母]]:那須藤(永貞院)
| 兄弟 = [[坂牧忠増]]、[[小笠原長安|長安
| 妻 = 正室:'''[[黒田長興]]の娘'''
| 子 = [[養子]]:'''''[[小笠原貞通|貞通]]'''''
| 特記事項 =
}}
'''小笠原 真方'''(おがさわら さねかた)は、[[江戸時代]]前期から中期にかけての[[大名]]。[[豊前国]][[小倉新田藩]](千束藩)初代藩主。[[小倉藩]]主・[[小笠原忠真]]の
== 略歴 ==
[[寛文]]11年([[1671年]])9月23日、同母兄で小倉藩主・[[小笠原忠雄]]より1万石を分与されて、支藩である小倉新田藩を立藩した。しかし藩政においては家老、並びに本家の小倉藩によって執り行なわれた上、自身は領地に赴かずに篠崎館に住んだので篠崎殿と称された。
『[[土芥寇讎記]]』では、前述のように本藩の指導の上に統治が行われているにもかかわらず、藩政が荒れていた本藩と比べて真方の領内が良く治まっているのは”不審である”、と記されている。
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