「加藤芳郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎top: 自己リンクが含まれているので太字強調して、リンク解除しました。
内部リンクの修正。
23行目:
== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[東京府]][[豊多摩郡]][[代々幡町]](のちの[[東京都]][[渋谷区]])生まれ<ref name="waga">『現代漫画』第1期4巻「加藤芳郎集」筑摩書房、1969年 pp.298-302 加藤芳郎「わがオンボロ人生」</ref>。8人兄弟の6番目<ref name="waga" />。父親は[[岩手県]][[胆沢郡]][[水沢町]](のちの[[水沢市]]→[[奥州市]]水沢区)出身で、[[東京市|東京市役所]]に勤務していた<ref name="waga" />。母親は[[埼玉県]][[北足立郡]][[鳩ヶ谷市|鳩ヶ谷町]](のちの川口市→[[鳩谷市]]→再度川口市に復帰)の出身<ref name="waga" /><ref>松井清人『オカン、おふくろ、お母さん』 [[文藝春秋]]、2006年、66-67頁</ref>。加藤は幼いころから絵を描くのが好きで、父親は加藤の描く絵を見ては「美術学校に入れてやろう<ref name="waga" />」とほめるのが常だったという。また、『[[のらくろ]]』『[[冒険ダン吉]]』などの児童漫画作品に親しんだ<ref name="waga" />。加藤が10歳の頃に父親が定年を迎え、嘱託契約に切り替わって以降は、兄たちが家財を質入れして食料を調達するなど、生活が苦しくなり、美術学校入りの夢はいったん断念する<ref name="waga" />。
 
病院の給仕として昼間に働きながら、旧制[[東京都立新宿高等学校|東京府立第六中学校]]夜間部に通学<ref name="waga" />。そのころ、[[1939年]](昭和14年)、雑誌『[[アサヒグラフ]]』の投稿欄に漫画が掲載され、賞金を受け取ったことをきっかけに、プロ漫画家の夢を抱く。『[[週刊少国民]]』『[[オール讀物]]』『[[モダン日本]]』などで入選を重ね<ref name="waga" />、[[近藤日出造]]主宰の『[[漫画 (雑誌)|漫画]]』で一等入選するに至った<ref name="profile" />。[[冨田英三]]によれば、近藤はこのころの加藤を「おそるべき少年」と激賞していたという<ref name="gashi">『昭和新聞漫画史 笑いと風刺でつづる世相100年』[[毎日新聞社]]「別冊一億人の昭和史」、1981年 p.132-135</ref>。