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[[紀元前201年]]に[[漢|漢朝]]の[[劉邦|高祖]]が「[[涪県]]」(ふうけん)を設置して以来、2200年の歴史を有する。
 
また伝説では、[[黄帝]]の妃で[[養蚕]]の祖でもある嫘祖は、市域内の[[塩亭県]]にあった[[西陵国]]出身とされる。またその子孫で[[夏 (三代)|夏王朝]]の創設者とされる[[禹]]は、父[[鯀]](こん)が西羌の汶山・石紐(現在の[[北川チャン族自治県]])に封じられたために同地で生まれたという。
 
[[三国時代 (中国)|三国時代]]には「[[蜀道の険|蜀道]]の咽喉」とされ、[[漢中郡|漢中]]と[[蜀]]とを結ぶ山岳地帯の通路の入口として戦略的に重要であり、後には[[綿州]]と改められた。三国時代の武将の[[蔣琬]]はこの地に葬られている。
 
また多くの文学者ゆかりの地でもある。漢代の文豪楊子雲は久しくこの地に住んだ。[[唐]]の詩人[[李白]]は、父の転居に伴い少年時代を蜀郡・綿州の彰明県(現在の[[江油市]])で過ごしたとされる。また[[北宋]]の文豪[[欧陽脩]]もこの地で生まれたとされる。その他、清代の学者李調元、現代の小説家沙汀、20世紀の科学者鄧稼先らもこの地の出身である。
 
[[2008年]][[5月12日]]に発生した[[四川大地震]]では震源地からもっとも近かったため、特に[[北川チャン族自治県]]に最大の被害を出した。
 
== 行政区画 ==