「ヴィルヘルム8世 (ヘッセン=カッセル方伯)」の版間の差分

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| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 配偶者1 = [[ドロテア・ヴィルヘルミー・フォン・ザクセン=ツァイツ]]
| 子女 = カール<br>[[フリードリヒ2世 (ヘッセン=カッセル方伯)|フリードリヒ2世]]<br>マリア・アマリア
| 家名 = [[ヘッセン家|ヘッセン=カッセル家]]
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[[1730年]]に父カールの死去によって兄フリードリヒ1世がヘッセン=カッセル方伯となるが、フリードリヒ1世は妻[[ウルリカ・エレオノーラ (スウェーデン女王)|ウルリカ・エレオノーラ]]の退位後にスウェーデン王となっていたため、ヴィルヘルムが[[摂政]]としてヘッセン=カッセル方伯領の政務を執った。そして、1751年にフリードリヒ1世が嗣子なくして死去したのを受けて、ヘッセン=カッセル方伯を継いだ。
 
1760年、[[リンテルン]](現[[ニーダーザクセン州]][[シャウムブルク郡]])で死去した。ヴィルヘルム8世はザクセン=ツァイツ公[[w:de:Moritz Wilhelm (Sachsen-Zeitz)|モーリッツ・ヴィルヘルム]]の娘[[ドロテア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ザクセン=ツァイツ|ドロテア・ヴィルヘルミーネ]](1691年 - 1743年)と結婚しており、彼女との間の息子[[フリードリヒ2世 (ヘッセン=カッセル方伯)|フリードリヒ2世]]が方伯位を継いだ。
 
== 子女 ==