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また、市内北東部の[[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]や[[神奈川区]]の臨海部を中心に、隣接する[[川崎市]]や[[大田区]]などとともに[[京浜工業地帯]]の一角を成しており、多数の重化学工業の工場や大小様々は事業所が立地している[[工業都市]]でもある。
 
横浜市は'''横浜中心部'''を核とする県内最大の自治体であると同時に、'''東京の[[衛星都市]]・[[神奈川都民|ベッドタウン]]'''としての側面も強いことが特徴であり、市内の多くは丘陵地の閑静な住宅街である。昼間人口は約342万人と夜間人口に比べ約30万人市外に流出しており、昼間人口に関しては約354万人の[[大阪市]]を下回る<ref name="kanalico_20200718">{{Cite web|title=横浜市の昼夜間人口比率が回復 企業誘致が奏功 {{!}} 話題 {{!}} カナロコ by 神奈川新聞|url=https://www.kanaloco.jp/article/entry-18389.html|website=カナロコ|accessdate=2020-07-18|language=ja}}</ref>。2015年度の東京都へ通勤・通学する15歳以上の就業者及び通学者の割合は25.3%であり、いわゆる「横浜都民([[神奈川都民]])」が多い。2015年の横浜市の昼夜間人口比率は91.7と、政令指定都市かつ県庁所在地でありながら100を下回っている。郊外の区では[[首都圏 (日本)|首都圏]]への人口集中により[[スプロール現象|スプロール化]]した市街地が散在しており、都市基盤整備が推進されている。[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]など[[東急田園都市線]]沿線の[[多摩田園都市]]をはじめとした市内北西部の新興住宅地は、鉄道網も横浜駅を経由しない東京からの放射線が軸となるため、東京都心の[[ベッドタウン]]としての性格がさらに強い。2015年の青葉区の昼間人口の人口比率は76.2であり、横浜市の行政区の中では最も低い<ref name="kanalico_20200718"/>。横浜市の人口は約376万人と日本の市区町村の中で最も多いが、[[東京電力ホールディングス|東京電力]]や[[東京ガス]]といった地域ブロックの[[電力会社]]や[[一般ガス事業者|ガス会社]]、その他[[関東地方]]を統括する大企業の本社・関東支社は東京23区に置かれることが多く、また前述の通り通勤・通学時に東京に流出する人口が多いため、夜間人口と比べて業務機能の集積は少ない。横浜市の市内総生産([[国内総生産|GDP]])は12.3兆円であり、[[近畿地方|関西地方]]の中心であり人口約275万人の[[大阪市]]の18.7兆円の3分の2ほどしかない。また、[[東海地方]]の中心であり人口約232万人の[[名古屋市]]の市内総生産は12.3兆円と、横浜市とほぼ同程度である<ref>{{Cite web|title=政令指定都市GDP(大阪市・横浜市・名古屋市・札幌市など)のランキング {{!}} ランキングサイト rank-J|url=http://databasejapan.com/?p=906|accessdate=2020-09-15|language=ja}}</ref>。
 
横浜市域は、南に接する[[鎌倉]]に[[鎌倉幕府]]が置かれた[[鎌倉時代]]から本格的に開発され始めた。[[江戸時代]]には[[江戸幕府]]が置かれた[[江戸]]に近いため、幕府直轄地([[天領]])や[[旗本]]知行地が大部分を占め、藩は小規模な[[六浦藩]]([[金沢区]])のみが置かれた。また、大きな港を持たない鎌倉幕府の海の玄関口として六浦湊(金沢区六浦)が、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝として神奈川湊([[神奈川宿]]、神奈川区神奈川)が、早くから栄えた。[[幕末|江戸時代末期]]には、神奈川沖、小柴(旧、六浦湊外周部)で締結された[[日米修好通商条約]]により、「神奈川」を開港場にすることが定められた。実際には神奈川湊の対岸にある'''横浜村'''{{efn|武蔵国久良岐郡に属する。「横浜」の名は、海から見たとき「横に長い浜」であることに由来するとされる<ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=73 「横浜」の由来って何?](はまれぽ.com 2011年3月28日)</ref>。[[櫻井澄夫]]や鏡味明克(横浜地名研究会会長)によれば、古語の「ヨコ」の用例から「長い浜」であることに由来し、大浜や長浜とほぼ同義であるという<ref>「横浜地名考」『横浜の町名』初版所収。1982年</ref>。}}(現在の中区関内地区)に新たに港湾施設が建設され、短期間に国際港の体裁を整えた。[[安政]]6年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[1859年]][[7月1日]])に開かれた'''[[横浜港]]'''は「金港」とも呼ばれ、[[生糸]]貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として急速に発展。横浜を日本を代表する国際港湾都市の1つへと発展させる礎となった。