「軽井沢」の版間の差分

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江戸時代後期に開業するも[[宿場]]の衰退により休業していた旧軽井沢の[[旅籠]]「亀屋旅館」の主人佐藤万平(初代)は、ディクソン夫妻から[[洋食]]や外国人の生活習慣を習得し、[[1894年]](明治27年)、軽井沢で最初の洋式[[ホテル]]「亀屋ホテル」(後の[[万平ホテル]])を創業した。その後、[[1899年]](明治32年)には「[[軽井沢ホテル]]」、[[1906年]](明治39年)には「[[三笠ホテル]]」も開業して宣教師・知識人・文化人の間で人気を博し、[[避暑地#日本三大外国人避暑地|日本三大外国人避暑地]]の1つに数えられるようになった。
 
[[1900年代]]に入ると貸別荘やホテルなども増え始めた。かつての宿場町の通りは、[[旧軽井沢メインストリート]]と名を変え、外国人向けの商店や夏季出店店舗が軒を連ねはじめた。ショーが宣教師であったことから、他の外国人避暑地に比べ宣教師が多く訪れ、[[キリスト教]]の色合いが濃い保養地となった。当時設立されたキリスト[[教会]]が現在も活動しており、米国人建築家[[ウィリアム・メレル・ヴォーリズ]]が設計した[[軽井沢ユニオン教会チャーチ]]([[1918年]](大正7年)に建築された教会)、[[日本基督教団]]軽井沢教会([[1929年]](昭和4年)に建築された教会)など外国人ゆかりの教会建築が軽井沢の各地に現存している。ヴォーリズも夫妻でたびたび軽井沢を訪れており、教会以外にも[[軽井沢会テニスコート]]クラブハウスや[[医院]]など幾多の建物を手掛けた。ヴォーリズの手になる別荘も数棟残っており、現在も使用されている。
 
=== 日本人の参入 ===