「姫島 (愛知県田原市)」の版間の差分

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以前は「飛馬島」(読み同じ)と呼ばれ、寛文10年(1670年)の藩日記「万留書」に初めてその名が見える。「三河雑抄」には「姫嶋─前芝ヲ乗出シテ海上二里余ニシテ左ノ方ニ見ユ、此島ニ野馬有ト云」とあり、「三河国名所図絵」にも「飛馬島 波瀬村より一里許海上に有。統叢考に云往昔右大将頼朝卿宝飯郡丹野村御堂山に馬を奉納あり。其馬出て引馬の若草をはむ。夫より引馬を御馬て号す。彼馬蒼海を游きて南方の島に至る故に其辺を飛馬島と号くと見ゆ」とある。[[正徳 (日本)|正徳]]元年([[1711年]])の藩日記「万留帳」には、放牧駒は牡馬6頭、牝馬1島と記されている。江戸時代の『田原城主考』では「飛馬嶋」と記され[[アサリ]]や[[モズク]]の産地としている<ref name="museum">{{Cite web |date= |url=https://www.taharamuseum.gr.jp/info/hic/pdf/hic_125.pdf |title=歴史探訪クラブ125号 |format=PDF |publisher= 田原市|accessdate=2021-09-22}}</ref>。江戸時代には[[田原藩]]により馬の放牧が行われていた<ref name="museum" />。
 
島では畑作が行われていた時期もあり、島内には風をよけるために植えられたヒサカキやイヌマキ、区画のための石垣などが現存する<ref name="museum" />。
 
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