「カネミ油症事件」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
令和は明らかにそこまで続かないため削除 タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
経緯節に変更し、1973年(昭和48年)の「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)」の施行を追加 |
||
1行目:
{{出典の明記|date=2018年11月}}
'''カネミ油症事件'''(カネミゆしょうじけん)とは、[[1968年]](昭和43年)、[[カネミ倉庫]]が製造する食用油に
[[File:Diagram of deodorization tower (Causes of Yusho disease) 01-ja.svg|thumb|300px|'''PCBが混入した脱臭塔の模式図'''<br>ライスオイルの脱臭過程で熱媒体として使用されていたカネクロール (PCB) が配管より漏洩し、ライスオイルに混入した]]
9行目:
当時は[[ポリ塩化ビフェニル|PCB(ポリ塩化ビフェニル)]]の無害化技術も確立されていない時代であり、カネミ油症の原因物質であるライスオイルは、不適切な処理をされた可能性がきわめて高い。カネミ倉庫の事業所が存在する[[北九州市]]及び[[大阪市]]([[木津川運河]])では、ダイオキシン類の一つである[[ポリ塩化ビフェニル#ダイオキシン様PCB・コプラナーPCB|コプラナーPCB]] (Co-PCB)が河川及び港湾の[[底質]]から基準を超えて検出されている<ref>大阪市港湾局の底質ダイオキシン類汚染調査結果</ref>。復活させる前に[[WP:NOTSOAPBOX]]を読むこと。https://blogs.yahoo.co.jp/teisdix/MYBLOG/yblog.html や https://blogs.yahoo.co.jp/tanabekumano/66374414.html の補強にWikipediaを使うべからず。 -->
==
* [[1954年]](昭和29年)4月 : [[カネカ|鐘淵化学工業(現カネカ)]]高砂工業所で「カネクロール」 ([[ポリ塩化ビフェニル|PCB]]) を製造開始する<ref name="Shimoda">{{Cite journal |和書|author=下田守|authorlink= |title=カネミ油症の被害と人権侵害の広がり|date=2007-03|publisher=下関市立大学学会|journal=下関市立大学論集|volume=50|issue=1|url=http://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/sc/metadata/1479|pages=93-106|ref= }} </ref>{{Sfn|五島市|2020|p=35}}。
* [[1961年]](昭和36年)4月29日 : [[小倉市]]の[[カネミ倉庫]]が、[[三和油脂]]より[[脱臭]]装置を導入し、[[米ぬか]]精製装置を導入して米ぬか精製油の製造を開始する<ref name="Shimoda"/>{{Sfn|五島市|2020|p=35}}。カネミ倉庫が、鐘淵化学工業の勧めによりPCBの熱媒体利用を始める。
45行目:
** 9月23日 : 紙野トシエ、[[紙野柳蔵]]ら無期限で座り込みに入る。
** 10月26日:油症診断基準改定。
* [[1973年]](昭和48年) : 「[[化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律]](化審法)」が施行される。
* [[1975年]](昭和50年) : 九州大学助教授の長山淳哉{{Efn|2002年当時、国の「油症治療研究班」メンバーで、九州大学医療技術短期大学助教授}}らの研究により、ダイオキシン類の[[ポリ塩化ジベンゾフラン]] (PCDF) が事件に関係していることが判明した。
*1976年(昭和51年)6月14日 : 油症診断基準に[[PCQ]]濃度が追補される{{Sfn|カネミ油症被害者支援センター|2006|p={{要ページ番号|date=2020-11-28}}}}。
|