「東北・上越新幹線反対運動」の版間の差分

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* 通勤新線([[埼京線]])の建設
* 大宮 - 伊奈間の[[新交通システム]]([[埼玉新都市交通伊奈線|ニューシャトル]])の建設
* 環境基準遵守のため上野 - 大宮間開業時の速度低下および都市施設帯(環境空間・緩衝地帯)の設置
* 大宮駅に全列車を停車<ref group="注">ただし、東北新幹線の上野駅 - 大宮駅間延伸開業のダイヤ改正で、大宮駅を通過する列車(回送列車も含む)を設定したことで反故にされたが、徐々に通過列車は減少し、2015年3月よりすべての営業列車が停車されている。</ref>
* 上野 - 大宮間の速度低下
の国鉄対案を骨格とする4条件を、[[埼玉県議会]]に提示した<ref name="船橋 144">[[#船橋晴俊|{{Cite book|和書 |author=船橋晴俊 |editor=栗原 彬・庄司興吉編 |title=社会運動と文化形成 |date=1987 |publisher=東京大学出版会 |chapter=東北新幹線建設と住民運動 |page=144}}]]</ref>。
 
{{Quotation|反対運動が盛り上がる中、私はたびたび「三市連」の幹部と会談した。激励さえしなかったものの、「まあ、悪いようにはしないから」とは常々言っていたと思う。彼らの運動を目の当たりにし、心の中で「捨てたもんじゃない」とある種の感動を覚えていたことも確かだった。「成田闘争」のような過激な集団でなかったことも助かった。彼らのやり方は住民運動の好例になるような感じだった。|『回想畑県政二十年 』1996年、pp62-63}}
 
このような反対運動の高まりの中で、[[1975年]](昭和50年)5月に衆議院公害環境特別委員会で[[日本国有鉄道|国鉄]]の[[藤井松太郎]]総裁が、東京駅 - 大宮駅間の工事中断を表明、[[1976年]](昭和51年)12月16日に当時の埼玉県知事の畑知事が「大宮駅 - 赤羽駅間の通勤新線建設」「開業時に大宮 - 伊奈間の新交通システム導入」「環境基準遵守のため開業時スピードダウン、速度低下および緩衝地帯として都市施設帯等の設置」「大宮駅に全列車を停車<ref group="注">ただし、東北新幹線の上野駅 - 大宮駅間延伸開業のダイヤ改正で、大宮駅を通過する列車(回送列車も含む)を設定したことで反故にされたが、徐々に通過列車は減少し、2015年3月よりすべての営業列車が停車されている。</ref>」「大宮 - 伊奈間の新交通システム導入」を4条件として県南高架建設に条件付同意を埼玉県議会で示した<ref name="船橋 144" />。その後、[[1977年]](昭和52年)10月に[[福田赳夫]][[首相]]が東北・上越新幹線の大宮駅暫定開業の考えを示し、さらに国鉄は、通勤新線の建設を埼玉県に約束をして、地元の柔軟化に期待した<ref name="RP201307別冊 48" />。
 
;年表
:* 5月 - 衆議院公害環境特別委員会で[[日本国有鉄道|国鉄]]の[[藤井松太郎]]総裁が、東京駅 - 大宮駅間の工事中断を表明。
:* 12月23日 - 国鉄の藤井松太郎総裁が、「最悪な場合は[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]を臨時的にターミナルとすることも考えている」と国会で答弁。
: [[1976年]](昭和51年)12月16日 - 畑知事が「大宮駅 - 赤羽駅間の通勤新線建設」「開業時に大宮 - 伊奈間の新交通システム導入」「環境基準遵守のため開業時スピードダウン、速度低下および緩衝地帯として都市施設帯等の設置」「大宮駅に全列車を停車」「大宮 - 伊奈間の新交通システム導入」を4条件として、県南高架建設に条件付同意を[[埼玉県議会]]で示す。
: [[1977年]](昭和52年)10月 - [[福田赳夫]][[内閣総理大臣|首相]]が東北・上越新幹線の大宮駅暫定開業の考えを示す。国鉄も、通勤新線の建設を表明。