「ポーランド民主化運動」の版間の差分

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共産主義時代の[[ポーランド人民共和国]]は慢性的に経済状況が悪化していた。[[西側諸国]]から膨大な借款を受け続け、[[インフレーション]]、食料配給制と[[食品|食料]]・物資・経済の欠乏、[[ストライキ]]、[[暴動]]、[[暴動鎮圧]]を繰り返していた<ref>http://www.britannica.com/EBchecked/topic/466681/Poland/28216/Communist-Poland</ref>。
 
1985年9月、[[:en:University of Torun|トルン大学(ニコラス・コペルニクス大学)]]の[[天文学者]]ら(Zygmunt Turlo、Leszek Zaleski、Piotr Lukaszewski、Jan Hanasz)が自作の放送機材を用い[[トルン]]の国営テレビ放送を[[電波ジャック]]し、「値上げ、嘘、弾圧はもうたくさんだ。トルン「連帯」 (Enough price increases, lies, and repressions. Solidarity Torun)」と「選挙の[[ボイコット]]はわれわれの義務である (It is our duty to election boycott)」という2つの字幕と[[独立自主管理労働組合「連帯」]]のロゴを国営放送の内容に被さるように表示させた<ref>{{cite web|url=http://w.icm.edu.pl/tvS/tvs.htm|title=(polish)|publisher=W.icm.edu.pl|date=2006-05-18|accessdate=2009-07-15}}</ref>。4人は当局に発見され、「無免許の無線送信機の所持と公衆の不安を煽る行為」を罪状として拘束された。しかし当局は西側諸国からの批判をかわす為でそれぞれに100[[合衆国ドル|ドル]]相当の罰金と執行猶予付きの判決を下すに留まった。しかし、ポーランドの一般的な月収が20ドルに満たない時代であった当時としてはこの判決でも大変な重刑であり、民衆の不満は高まった<ref>{{cite web|author=http://witryny.of.pl|url=http://w.icm.edu.pl/tvS/pirat.htm|title=(english)|publisher=W.icm.edu.pl|date=1985-09-14|accessdate=2009-07-15}}</ref>。
 
1987年、政府は[[経済政策]]の改善に失敗。急激なインフレにより、価格が40%も値上がり、直ちに全国で暴動と長期的なストライキが起こる。政府により暴力的な暴動鎮圧と軍の介入がなされた。