「民主改革連合」の版間の差分

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|公用語名 = Democratic Reform Party
|色相 = {{Democratic Reform Party/meta/color}}
|成立年月日 = [[1989年]][[6月9日]]{{efn|連合の会として発足。}}
|解散年月日 = [[1998年]][[4月27日]]
|解散理由 = 新党結成のため
'''民主改革連合'''(みんしゅかいかくれんごう、[[英語]]:Democratic Reform Party)は、かつて存在した[[日本]]の[[政党]]及び[[院内会派]]である。略称は'''民改連'''(みんかいれん)。
 
== 歴史沿革 ==
[[File:1990年代の政党の離合集散.jpg|thumb|right300px|1990年代の政党の離合集散]]
 
*[[1989年]](平成元年) - [[第15回参議院議員通常選挙]]で[[日本労働組合総連合会|日本労働組合総連合会(連合)]]を支持母体に'''連合の会'''(英語:Rengo no kai)([[日本社会党]]・[[公明党]]・[[民社党]]・[[社会民主連合]]推薦)が結成され候補者11人が当選。非改選の[[無所属]]議員だった[[山田耕三郎]](元[[大津市]]長、以前は[[一の会]]等に所属)とともに、会派として'''連合参議院'''を結成。代表には山田が就いた。
=== 連合の会 ===
*[[1992年]](平成4年) - [[3月]]の[[参議院]][[宮城県選挙区]][[補欠選挙]]で[[萩野浩基]]が初当選。[[第16回参議院議員通常選挙]]は、[[望月幸明]]や[[西村眞悟]]など、連合の会の候補全員が落選した。代表の山田は不出馬だった。
[[1987年]](昭和62年)に発足した全日本民間労働組合連合会(全民労連、「連合」)は、[[1989年]](平成元年)秋に官公労も加入した新しいナショナルセンター「[[日本労働組合総連合会]]」(連合)を発足することが確定し、労働組合の再編は既定路線となった。
*[[1993年]](平成5年) - 1月20日に会派名を'''民主改革連合'''に改称。同年、[[細川内閣]]の[[連立政権]]に参加する。当時の代表(常任代表幹事)は[[星川保松]]。
 
労働界の再編に合わせて、[[非自民|非自民・非共産勢力]]の連携、とくに[[日本社会党]]と[[民社党]]の「社・民統一」を求める声が高まっていた。
 
[[第15回参議院議員通常選挙]]が迫る中で、連合は社・民両党に[[公明党]]と[[社会民主連合]]を含めた野党連携を仲介し、4野党の推薦する無所属統一候補の擁立を主導した。結果的に12名の候補を擁立し、[[確認団体]]として同年6月9日に'''連合の会'''を発足した。代表は[[情報産業労働組合連合会|情報通信労働組合]]連合会会長の[[豊田稔]]、最高顧問には連合議長の[[竪山利文]]と、連合役員が就任した。
 
参院選では[[消費税]]導入や[[リクルート事件]]など、国民の自民党への批判の受け皿として11名が当選した。
 
=== 連合参議院 ===
参院選での躍進により同年8月1日、非改選の[[山田耕三郎]]とともに、会派として'''連合参議院'''を結成。代表には山田が就いた。連合の会の議員活動は連合参議院に事実上移行した。
 
*[[1992年]](平成4年) - [[3月]]の[[参議院]][[宮城県選挙区]][[補欠選挙]]で[[萩野浩基]]が初当選。[[第16回参議院議員通常選挙]]は、[[望月幸明]]や[[西村眞悟]]など、連合の会の候補全員が落選した。代表の山田は不出馬だった。
 
=== 民主改革連合 ===
*[[1993年]](平成5年) - 1月20日に会派名を'''民主改革連合'''に改称。同年、[[細川内閣]]の[[連立政権]]に参加する。当時の代表(常任代表幹事)は[[星川保松]]。
**9月16日 - [[日本新党]]と統一会派「日本新党・民主改革連合」を結成する。
**11月18日 - さらに[[新生党]]と統一会派「日本・新生・民主改革連合」を結成する。
*過去に落選した元議員のうち、古川、吉岡、乾はその後民主党(ただし、古川は民改連が合流する前の[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]])へ参加し、各種国政選挙に党公認候補として議員復帰を目指したが、いずれも落選している。
 
== 脚注・出典 ==
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<references />
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==