「明治二十九年法律第六十三号ノ有効期間ニ関スル法律」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
m typo
105行目:
本法は、題名を付さない。これは一時的な問題を処理するために制定されている比較的簡易な法令には題名を付さないのが通例であったためである<ref>{{cite book|和書 |editor=法制執務研究会|title=新訂 ワークブック法制執務 第2版|publisher=株式会社ぎょうせい|date=2018-01-15|isbn=978-4-324-10388-3|page=147}}</ref>。
本文は、本法の趣旨である台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律の期限後の効力について規定したものである。台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律は1905年3月31日まで法律としての効力を有することとされたが、本規定は、同年4月1日から平和が克復された年の翌年12月31日まで、なお法律としての効力を有することとと規定する<ref>台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律第6条</ref>。台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律第6条と本規定の規定との関係は、[[一般法・特別法|一般法と特別法の関係]]又は先法と後法の関係が成立しており、特別法優先の原理又は後法優先の原理により、同条の規定は適用されず、本規定が適用される。本文中の「平和克復」とは、当時日本と[[ロシア帝国]]との間で[[朝鮮半島]]及び[[満州]]の権益をめぐり争われていた日露戦争の終結、即ち日露戦争の講和を規定するポーツマス条約の発効を指す<ref name="m38.2.25"/><ref>第二十二回帝国議会貴族院本議事速記録第十九号358頁</ref>。[[1904年]]に公布された[[非常事態税法]]では日露戦争の終結を要件として「平和克復」を用いており、本法も同法を例として用いたとされる<ref name="ruisyu"/>。当該延長期間は、前述の背景のとおり、児玉が日露戦争に出征したこと等に伴い、明治29年法律第63号の後継となる台湾地域の統治規定の立案が滞っていたため、児玉が日本に帰朝した後、立案から制定までの期間を確保するためのものである<ref name="m38.2.17-247">明治38年2月17日官報号外、第二十一回帝国議会衆議院議事速記録第十七号247頁</ref>。児玉でなければならない理由については、湾地域の統治に適当な規定の立案にあたっては台湾地域の統治実績及び実情への知見を有している者にさせるべきであり、これらの条件に合致し、かつ、既に当該規定の起草中である児玉がすることが適当であると考えられたからである<ref name="m38.2.17-247"/>。
 
本法には附則がなく、本法の施行期日を定めた規定もないため、法律の施行期日に係る一般則を定めた[[法例]]の規定に基づいて本法の施行期日が決定される<ref>法例第1条</ref>。即ち、日本内地については、公布の日である1905年3月8日から起算し満20日を経た日である同年3月28日が施行期日となり<ref>法例第1条第1項本文</ref>、台湾地域については、[[日本統治時代の台湾行政区分|台湾地域の地方行政区分]]である各庁に到達した翌日より起算して7日を経た日に施行された<ref>法例第1条第2項</ref><ref>明治二十九年勅令第二百九十二号中改正ノ件(明治40年勅令第12号)による改正前の法律命令ノ台湾ニ於ケル施行期限ニ関スル件(明治29年勅令第292号)</ref>。