「NWAタッグ・リーグ戦」の版間の差分

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大会方式は「日本側チーム対外国側チーム」の[[トーナメント方式|対抗戦]]の図式を取り、2回戦総当り(第3回は1回総当りのみ)、1試合を45分3本勝負とする形式を取り入れた。
 
この大会は、当時[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が『[[日本プロレス中継]]』で独占放送してした日本プロレスの春の一大イベントであった「[[ワールドリーグ戦]]」に対抗して、それが『[[ワールドプロレスリング]]』で放送できなかった日本教育テレビ(旧:NET、現:[[テレビ朝日]])が、1970年7月に日本プロレスに企画を持ちかけて、秋の一大イベントとして成長させようと開催が計画された<ref name="jiken2 12">[[#jiken2|『日本プロレス事件史 Vol.2』、P12]]</ref>。しかし、ルールが煩雑であること(日本人同士も対戦する完全総当たりではなくワールドリーグ戦と同じ日本陣営対外国陣営の対抗戦であることや、勝ち点制度が複雑であること)、タッグメンバーも抽選によって決定された即席チームであること([[ジャイアント馬場]]・[[アントニオ猪木]]組の試合は「馬場の試合は日本テレビの独占」というNET参入時の取り決めによりNETで放映できないという事情もあり主力選手が個別に若手選手とタッグチームを編成)、また第3回では日本プロレスの主力だった猪木が追放、馬場も独立するなどしたため観客動員が低迷し、「タッグリーグ戦は成功しない」という[[ジンクス]]を打ち破ることはできなかった。
 
テレビ中継は第1回と第2回が日本テレビとNETテレビの両方で、第3回は日本テレビが『日本プロレス中継』を打ち切って『[[全日本プロレス中継]]』に変更したため、NETテレビ単独で放送された。
開催期間[[1970年]]9月25日 - 11月5日
 
タッグチームは報道関係者や主催者が立会いの下、厳正な抽選により日本側・外国側それぞれ4組8人ずつ(合計8組16人)のチームを編成し、45分間の3本勝負でそれぞれの試合ごとに勝利したチームに[[勝ち点]]を1ずつ与えるという方式であった。よって2勝すれば勝ち点2が与えられるだけでなく、1勝しか挙げられなかった場合でも最低勝ち点1が与えられるという方式だった(ただし、タッグチームのメンバーの双方あるいはどちらか一方の選手が負傷で欠場となった場合は、そのチームの不戦敗扱いとみなし、[[不戦勝]]チームに1点が与えれる。またストレート負けは勝ち点0)
 
最終的に各チームが8試合ずつを消化したところで、日本側・外国側それぞれの1位チーム同士(同点があった場合は順位決定の意味でのプレーオフ<3回戦>を行った)が決勝戦にコマを進め、60分3本勝負で優勝を争う。但し60分で0-0、もしくは1-1で決着が付かない場合は試合終了後に[[延長戦]]を時間無制限で開催し、そこで勝ったチームを優勝とした。
 
; 決勝戦
決勝戦は10月31日に[[大阪府立体育会館|大阪府立体育館]]で行われ、坂口&高千穂がハミルトン・ブラザーズを2-1で下して優勝。日本側が3連覇を達成した。坂口は猪木に次ぐ個人での連覇だった。1973年春に坂口が離脱、NETの中継も新日本プロレスに移行したことで日本プロレスが崩壊したため、第3回が最後のリーグ戦となった。
 
== 出典 ==
 
== 関連項目 ==
* [[世界オープンタッグ選手権]]→[[世界最強タッグ決定リーグ戦]](馬場が独立して設立した[[全日本プロレス]]で開催されているタッグリーグ戦。「タッグリーグ戦は成功しない」というジンクスが打破されたのはオープンタッグ選手権の成功による。[[1977年]]のみ前者のタイトルで開催し、以後は後者のタイトルで現在も開催されている)
 
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