「河原崎しづ江」の版間の差分

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== 略歴・人物 ==
[[石川県]]出身<ref name=kobe>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10070998&TYPE=HTML_FILE&POS=1 再生共産党事件の主なるシンパサイザー]時事新報 1931.5.21 (昭和6)</ref>。[[1923年]]、[[帝国劇場]]附属技芸学校(帝国女優養成所)の7期生として卒業。同期に[[飯島綾子]]らがいる。[[子爵]]家の長男[[大河内信威]]と結婚し、男児・信具を儲ける<ref name=kobe/>。[[1931年]]、[[前進座]]の創設に参加し、山岸しづ江の芸名で舞台に立った他、[[1933年]]以降は前進座がユニット出演した映画に出演した。1932年に夫の信威が[[共産党]]事件で逮捕される<ref name=kobe/>
 
信威とは離婚し、[[1936年]]、前進座座員の[[河原崎長十郎 (4代目)|河原崎長十郎]]と結婚。[[1949年]]、日本民主主義文化連盟の雑誌「働く婦人」に「私の歩いた道」を寄稿<ref>[http://www.libro-koseisha.co.jp/contents/H_fujin/html/HF026.html 占領期の女性雑誌シリーズ(2)「働く婦人」総目次 26号(1949年9月1日)]</ref>。[[1968年]]、劇団を離れ、数本の映画やテレビドラマに出演。[[1971年]]公開の映画『[[儀式 (映画)|儀式]]』が最後の出演作となった。
 
== 出演映画 ==