「ブカ・テムル」の版間の差分

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== 概要 ==
ブカ・テムルが活躍した頃のチャガタイ・ウルスはモンゴル帝国内紛の影響を受け、混乱した状態にあった。第5代君主[[アルグ]]の死後、チャガタイ・ウルスには[[クビライ|セチェン・カン(世祖クビライ)]]によって[[バラク]]が送り込まれていたが、バラクはクビライを裏切って[[オゴデイ・ウルス]]の[[カイドゥ]]と同盟を組み、[[大元ウルス]]及び[[フラグ・ウルス]]と敵対するようになった。
 
年、バラク、カイドゥ及び[[ジョチ・ウルス]]の[[ベルケ]]との間で「タラス会盟」が開かれ、その席上でバラクはフラグ・ウルスに攻め込むことが決定された。しかし、バラクは[[カラ・スゥ平原の戦い]]でフラグ・ウルス君主[[アバカ]]に大敗を喫し、その権勢は失墜した。そのため、チャガタイ王家の1人[[ニグベイ]]が叛旗を翻し、バラク死後にチャガタイ・ウルス君主の座についた。