「宮崎駿」の版間の差分

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; アンカー
: 1980年代半ば、[[夢枕獏]]との対談で宮崎が提案した。『ラピュタ』完成後、原作夢枕、脚本宮崎、監督[[押井守]]、プロデューサー[[高畑勲]]で検討されるが、企画段階で中止される。宮崎の構想によると舞台は当時の東京、お姫様のような不思議な女の子が何者かに追われて、偶然に出会った男の子がその子を逃がすためにある場所まで送り届けると、また違う人間が別の場所まで送り届けるという恋愛要素を含んだ冒険ものであるという。しかし、美少女を出そうとする宮崎と、鼻垂れ小僧のような汚い少女を出そうとする押井の間で企画は消滅した<ref>ラジオ「押井守の世界 2008年2月16日」。</ref>。
:岡田斗司夫がニコ生で語るには「企画当時、daiconfilmに「実写版」として参加を求められたという。「愛国戦隊大日本」を見た宮崎駿は狂喜して、これを実写化できる連中なら、未来少年コナンが実写でできるはず!、と当時大学生だった赤井孝美などに依頼した。
; 突撃!アイアンポーク
: 1985年頃、「[[宮崎駿の雑想ノート]]」から派生したOVA作品の企画で、これも監督に押井守が予定されていた。