「エリック・ハイドシェック」の版間の差分

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1960年にアメリカデビューを果たし、[[ターニャ・ハイドシェック|ターニャ]]と結婚。50年代末から60年代にかけてのハイドシェックは主に[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]弾きとして、[[アンドレ・ヴァンデルノート|ヴァンデルノート]]と[[ピアノ協奏曲第20番 (モーツァルト)|第20番]]、[[ピアノ協奏曲第21番 (モーツァルト)|第21番]]、[[ピアノ協奏曲第23番 (モーツァルト)|第23番]]、[[ピアノ協奏曲第24番 (モーツァルト)|第24番]]、[[ピアノ協奏曲第25番 (モーツァルト)|第25番]]、[[ピアノ協奏曲第27番 (モーツァルト)|第27番]]のピアノ協奏曲の録音を残している。また師匠の[[アルフレッド・コルトー]]には彼の死の年(1962年)まで指導を受ける。その後、旧ソ連、イギリス等で活動した。特に[[日本]]には熱心なファンが多い。また[[リヨン国立高等音楽院]]教授を17年間つとめ、後進の指導にも当たっている。
 
[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]とモーツァルトの個性的だがかつスタイリッシュな解釈で知られる。特に[[1989年]]から[[1994年]]にかけて[[愛媛県]][[宇和島市]]の[[宇和島市立南予文化会館|南予文化会館]]で行われた一連のライブ録音された「テンペスト・版画」や「は[[宇野功芳]]の絶賛と相まって有名であり、中でもベートーヴェン3大の『[[ピアノソナタ第17番 (ベートーヴェン)|テンペスト]]』有名である評価が高い。他にも評価賛否は分かれるが、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]や[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]、[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]、[[ガブリエル・フォーレ|フォーレ]]、[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]なども得意としている。[[即興演奏]]も得意で、さまざまな音楽様式に関する知識を用いて、《[[ラ・マルセイエーズ]]の主題による変奏曲》といった変わった録音も残しており、たびたびリサイタルの[[アンコール]]で取り上げられる。
 
== 関連項目 ==
*[[宇野功芳]] - 日本の[[音楽評論家]]でハイドシェックを絶賛していた。
 
== 外部リンク ==