「フランソワ・ド・ラ・トレモイユ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
en:François II de La Trémoille14:55, 3 July 2021‎参考
(相違点なし)

2021年9月28日 (火) 14:42時点における版

フランソワ(2世)・ド・ラ・トレモイユFrançois(II) de La Trémoille, vicomte de Thouars, 1505年 - 1541年)は、ヴァロワ朝時代フランスの貴族。第36代トゥアール子爵。

トゥアール子爵ルイ2世・ド・ラ・トレモイユの子息シャルル・ド・ラ・トレモイユ(1485年 - 1515年)と、妻ルイーズ・ド・コエティヴィの間の息子[1]。1515年マリニャーノの戦い英語版で父を、1525年パヴィアの戦いで祖父を亡くし、20歳でラ・トレモイユ家の家督を継いだ。トゥアール子爵の他、タルモン公、タイユブール伯、ギーヌ伯、ブノン英語版伯、クラン英語版ロワイヤン、シュリー、リル=ブシャール、ブランドワ、モレオン英語版、マルイユ、マラン、ロシュフォールサンテルミーヌ英語版及びドゥエの男爵であった。

1536年3月10日付のパリ高等法院の布告により、領地の1つロシュフォールを王領地に編入され、翌1537年10月31日にロシュフォール城の城代(シャトラン英語版)職を失った。国王の官吏たちはこの王領地編入を正当化する根拠として、1453年のカスティヨンの戦いに際してラ・トレモイユ家が王室から1万8000エキュの借入金を与えられたことを持ち出し、この件の負債の帳消しだと主張した。

1521年1月23日、アンヌ・ド・ラヴァルと結婚[1]、間に8人の子をもうけた。

参考文献

  • Bardet, Jean-Pierre; Dinet, Dominique; Poussou, Jean-Pierre et al., eds (2000) (French). Etat et société en France aux XVIIe et XVIIIe siècles. Presses de l'Universitie de Paris-Sorbonne 
  1. ^ a b c Bardet et al. 2000, p. 48.