「大久保藤十郎」の版間の差分

 
 
== 生涯 ==
[[天正]]5年(1577年)に、[[大久保長安]]の嫡男として誕生。諱は不詳。[[関ヶ原の戦い]]後に、[[奈良奉行]]となる<ref>「中臣祐範記」</ref>。[[慶長]]15年(1610年)10月には、[[稲富祐直|稲富一夢理斎(祐直)]]より、稲富流[[炮術]]の皆伝を受けている<ref>「稲富流秘伝書」</ref>。しかし、慶長18年([[1613年]])に実父・長安が生前に金山の統轄権を隠れ蓑に不正蓄財をしていたことが発覚、[[小田原藩]]初代藩主・[[大久保忠隣]]預けられ、同年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]、弟の外記(二郎、36歳)、[[青山成国]](権之助、30歳)、運十郎(29歳)、内膳(藤五郎、27歳)、右京長清(権六郎、23歳)、安寿(僧、藤七郎、15歳)と共に切腹となり、長安らもは断絶し康から命じられ([[大久保長安事件]])。享年37歳。また正室の・[[石川康長]]も連坐して改易され豊後国佐伯に配流。そ不正蓄財調査を、若輩故[[石川康勝|康勝]]、[[石川康次|康次]]も後能力不足を理由改易となっ拒否した。
 
これに怒った家康は彼らを[[勘当]]して、[[小田原藩]]初代藩主・[[大久保忠隣]]の許に預けられ、同年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]、弟の外記(藤二郎、36歳)、[[青山成国]](権之助、30歳)、運十郎(29歳)、内膳(藤五郎、27歳)、右京長清(権六郎、23歳)、安寿(僧、藤七郎、15歳)と共に切腹となり、長安家は断絶した([[大久保長安事件]])。享年37歳。また正室の父・[[石川康長]]も連坐して改易され豊後国佐伯に配流。その弟の[[石川康勝|康勝]]、[[石川康次|康次]]も後に改易となった。
 
[[古田重然|古田織部]]より[[茶道|茶の湯]]の皆伝を受けた茶人でもあり、父長安は金製・銀製それぞれの[[台子]]飾り道具一式を所持していた。