「織田信雄」の版間の差分

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織田・徳川連合軍は長久手の戦いで局地的に羽柴軍を破り、羽柴方の[[池田恒興]]や[[森長可]]らを討ち取った。しかし圧倒的な戦力を持つ秀吉相手に戦いは長引いた。そしてその間に秀吉の調略を受けた信雄は、11月11日に家康に無断で秀吉と単独講和してしまう。このため、信雄を擁して秀吉と対立していた家康には、秀吉と戦うだけの名分を失うこととなり、この戦いは終結した。
 
以後は秀吉の重臣となりに従い、[[佐々成政]]の[[越中征伐]]や[[九州征伐]]などに従軍参加した。天正15年([[1587年]])の九州征伐の後、内大臣に叙任される。1590年1月、豊臣秀吉の養女になっていた長女[[小姫]]と[[徳川秀忠]]が結婚する。なお、当初は伊勢長島城を居城にしていたものの、1585年11月の地震で大破したため、尾張清洲城に移った
 
=== 改易 ===
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