「芦田均」の版間の差分

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政治的な動きとしては、[[1955年]]の[[保守合同]]に参加し、[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]の外交調査会長に就任。[[ハンガリー動乱]]の際にはソ連に批判的な立場から「日本ハンガリー救援会」を組織している。占領期以降の晩年は、歴史書を書き残す事に重点を置いた。『芦田日記』は占領期の歴史を当事者の立場で書く為の備忘録であったが、1959年に『第二次世界大戦外交史』を病床で口述筆記により完成させた。同年6月20日、芝・白金の自宅において現職の衆議院議員のまま死去。享年71。4日後の[[6月24日]]には衆議院本会議で片山哲による追悼演説が行われた。なお地盤は[[谷垣専一]]が引き継いだ。
 
著書『革命前夜のロシア』は、会話文を駆使した、ほとんど小説の趣がある回想録で、日本の現役政治家の著書としてはきわめて異色である。[[鴨下信一]]は『忘れられた名文たち』(1998)で2頁半もの引用の後「ああ、これはそっくり[[アントン・チェホフ|チェホフ]]だ。日本にはこういう文章を書く政治家もいたのである」と評している。
 
== 年譜 ==
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