「福島宿 (奥州街道)」の版間の差分

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[[本陣]]は、福島本町に設けられた(現在の街なか広場)。城下七町の各町には検断が置かれ、福島城[[堀|外堀]](密語橋、西門、大手門など)には[[見付|見附]](見張り番)が置かれた。福島宿がこのような本格的な城下町として、七つの町を整備できたのは、[[1702年]](元禄15年)の[[福島藩]]主[[板倉重寛]]入城時であった。
 
福島宿は、他国藩領への[[街道]]や温泉街道の宿場として、[[古代]]の[[東山道]]から利用されてきた。主に、[[会津藩|会津藩領]]へ向かう[[国道115号|土湯街道]](山王土湯道)。[[米沢藩|米沢藩領]]へ向かう[[板谷峠|米沢街道]]([[板谷街道]]、[[萬世大路]])。[[相馬中村藩|相馬藩領]]へ向かう[[国道115号|中村街道]](相馬街道、霊山街道)や[[国道114号|川俣街道]](富岡街道)など。古代に宿駅が設けられた場所は、現在の[[福島県庁]]エリアより、北寄りの北五老内近辺であったとされている。
 
各[[都市]]で[[道路]]の[[起点|起終点]]となる[[道路元標|福島市道路元標]]は、福島上町の奥州街道沿い、[[高札|札の辻]]跡に現存する。