「都久夫須麻神社」の版間の差分

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* 本殿{{space|2}}<ref name="本殿" group="gm">都久夫須麻神社本殿({{googlemap|都久夫須麻神社本殿}}) ※赤色でスポット表示される。</ref>
:[[国宝]]。一つには、[[伏見城#木幡山伏見城時代|木幡山伏見城]]にあった勅使殿(ちょくしでん)「日暮御殿(ひぐらしごてん)」の一部を[[豊臣秀頼]]が寄進したものと伝えられており({{small|''cf.'' [[伏見城#木幡山伏見城遺構]]}}){{r|Presmanunion}}、当社はこの説を支持している{{Sfn|公式ウェブサイト「建築物」}}。他方、[[豊国廟]]を移築したものとも伝えられている。装飾性の豊かな[[桃山文化#寺社・霊廟建築|桃山建築]]であるが、建物中心部の身舎(もや)と周辺部の庇(ひさし)とは本来別個の建物であり、建立年代の異なる2つの建物を合体して1棟としたものである。本殿は[[永禄]]元年([[1558年]])に火災で焼失し、永禄10年([[1567年]])に再建されているが、これが現存する庇と向拝の部分にあたる。身舎部分は[[慶長]]7年([[1602年]])、豊臣秀頼が[[片桐且元]]が普請奉行として他所から移築したものである。本殿は、全体としては、桁行5間、梁間4間で、屋根は[[入母屋造]]、[[檜皮葺]]とする。側面と背面は「霧除け」と称する板壁で外面を囲う。身舎部分は方3間(桁行3間、梁間3間)であるが、外側の庇部分とは柱筋が合っていい。正面側では身舎柱と庇柱間を4本の海老虹梁<ref group="字引">{{Cite web |title=海老虹梁 |url=https://kotobank.jp/word/海老虹梁-446023 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-26 }}<br />{{Cite web |title=海老虹梁・蝦虹梁 |url=https://kotobank.jp/word/海老虹梁・蝦虹梁-214837 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-26 }}</ref>で繋ぐが、これらの虹梁が斜めお宝厳寺唐門取りついており、納まりが悪い。そのほか、身舎柱が角柱であるのは『梵舜日記』対し、庇の柱が円柱であること、身舎の柱や扉が黒漆塗であるのに対し、庇が素木仕上げであること、庇の屋根が身舎の柱に取り付いていないことなどからも、身舎と庇が同時の建築でないことがうかがえる。身舎部は柱・長押などの軸部材を黒漆塗とし、飾金具を使用し、[[蒔絵|平蒔絵豊臣秀頼]]で草花が豊国廟新門描く。身舎の正面中央間は黒漆塗の桟唐戸<ref group="字引">{{Cite web |title=桟唐戸 |url=https://kotobank.jp/word/桟唐戸-70469 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-25 }}</ref>を立て、菊文様の装飾彫刻で飾新築す。両脇間は向かって左が際に[[キク|菊徳川家康]]、右[[フヨウ|芙蓉]]に[[瑞鳥]]の彫刻を嵌める。背面中央間の桟唐戸は後補である。両側面の中央間は外面を舞良戸<ref group="字引">{{Cite web |title=舞良戸 |url=https://kotobank.jp/word/舞良戸-633113 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-25 }}</ref>、内側は戸襖({{small|移築したぶすま}})とする。背面と側面も両脇間には装飾彫刻がる。身舎内部は[[畳]]敷天井は[[天井#日殿を含む他の建築における天井|折上格天井]]とする。天井の[[格間]]や戸襖には金地著色で菊・[[マツ|松]]・[[ウメ|梅]]・[[キリ|桐]]などの植を描く。庇は正面側を5間と吹き放しとするが、内法長押<ref group="字引">{{Cite web |title=内法長押 |url=https://kotobank.jp/word/内法長押-440519 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-25 }}</ref>より上方には各間とも装飾彫刻移築入れる。庇命じた両側面内法上は4間とも装飾彫刻を入れ、内法下は前寄り3間に[[唐草模様|牡丹唐草]]<ref group="字引">{{Cite web |title=牡丹唐草 |url=https://kotobank.jp/word/牡丹唐草-630418 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-25 }}</ref>家康彫刻を入れる。これらの庇部分の彫刻は途中で断ち切られている箇所可能性があり、本来この建物に属していた彫刻ではなく、他の建物からの転用とみられる。 {{Sfn|『日本建築史基礎資料集成 3 社殿III』|1981|pp=43-44}}{{Sfn|『週刊朝日百科 日本の国宝』|1998|pp='''8''', 274-275}}{{Sfn|木村展子|2003|pp=28-29, 32-33}}
 
:本殿は、全体としては、桁行5間、梁間4間で、屋根は[[入母屋造]]、[[檜皮葺]]とする。側面と背面は「霧除け」と称する板壁で外面を囲う。身舎部分は方3間(桁行3間、梁間3間)であるが、外側の庇部分とは柱筋が合っていない。正面側では身舎柱と庇柱間を4本の海老虹梁<ref group="字引">{{Cite web |title=海老虹梁 |url=https://kotobank.jp/word/海老虹梁-446023 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-26 }}<br />{{Cite web |title=海老虹梁・蝦虹梁 |url=https://kotobank.jp/word/海老虹梁・蝦虹梁-214837 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-26 }}</ref>で繋ぐが、これらの虹梁が斜めに取りついており、納まりが悪い。そのほか、身舎柱が角柱であるのに対し、庇の柱が円柱であること、身舎の柱や扉が黒漆塗であるのに対し、庇が素木仕上げであること、庇の屋根が身舎の柱に取り付いていないことなどからも、身舎と庇が同時の建築でないことがうかがえる。身舎部は柱・長押などの軸部材を黒漆塗とし、飾金具を使用し、[[蒔絵|平蒔絵]]で草花を描く。身舎の正面中央間は黒漆塗の桟唐戸<ref group="字引">{{Cite web |title=桟唐戸 |url=https://kotobank.jp/word/桟唐戸-70469 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-25 }}</ref>を立て、菊文様の装飾彫刻で飾る。両脇間は向かって左が[[キク|菊]]、右が[[フヨウ|芙蓉]]に[[瑞鳥]]の彫刻を嵌める。背面中央間の桟唐戸は後補である。両側面の中央間は外面を舞良戸<ref group="字引">{{Cite web |title=舞良戸 |url=https://kotobank.jp/word/舞良戸-633113 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-25 }}</ref>、内側は戸襖({{small|とぶすま}})とする。背面と側面も両脇間には装飾彫刻がある。身舎内部は[[畳]]敷、天井は[[天井#日本の建築における天井|折上格天井]]とする。天井の[[格間]]や戸襖には金地著色で菊・[[マツ|松]]・[[ウメ|梅]]・[[キリ|桐]]などの植物を描く。庇は正面側を5間とも吹き放しとするが、内法長押<ref group="字引">{{Cite web |title=内法長押 |url=https://kotobank.jp/word/内法長押-440519 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-25 }}</ref>より上方には各間とも装飾彫刻を入れる。庇の両側面は内法上は4間とも装飾彫刻を入れ、内法下は前寄り3間に[[唐草模様|牡丹唐草]]<ref group="字引">{{Cite web |title=牡丹唐草 |url=https://kotobank.jp/word/牡丹唐草-630418 |website=コトバンク |accessdate=2020-02-25 }}</ref>の彫刻を入れる。これらの庇部分の彫刻は途中で断ち切られている箇所があり、本来この建物に属していた彫刻ではなく、他の建物からの転用とみられる。 {{Sfn|『日本建築史基礎資料集成 3 社殿III』|1981|pp=43-44}}{{Sfn|『週刊朝日百科 日本の国宝』|1998|pp='''8''', 274-275}}{{Sfn|木村展子|2003|pp=28-29, 32-33}}
 
[[ファイル:Tsukubusuma Shrine.jpg|thumb|{{Anchors|本殿と摂社_画像02}}都久夫須麻神社本殿(高い位置の中央の1棟)と境内摂社(本殿の前に見える三社の2棟)。摂社は、向かって左が天忍穂耳神社と大己貴神社の1棟、右は厳島江島神社の1棟。いずれの棟も2柱を祀る。]]