「ヴィオラ・ダ・ガンバ」の版間の差分

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19世紀末の復興期以降の日本では、大正時代の海外文化に対する羨望から、1924 年に宮沢賢治は『春と修羅』の 詩句にガンバを詠い、1929 年には黒沢敬一がドルメッチ製の楽器を携えて英国から帰国した。第2次世界大戦後の 1950 年代中頃から再び知られるようになり、菊地俊一、カール・ヴェンデルシュタイン、その後、大橋敏成、髙野紀子、レオ・トレーナーらも活躍し、ガンバを国内に普及させた。1965 年からは、音楽を専攻できる学校教育機関がガンバを教科に取り込み、教育的な観点から合奏や弦楽器修得を目的に導入し、西洋音楽の深い理解のために音楽学の科目として取り上げた。次第に、専攻科目として扱う大学も現れた。時代順には、上野学園(大学教育学科、中学、大学古楽科)、国立音楽大学、武蔵野音楽大学、東海大学、フェリス女学院大学、同志社女子大学、相愛大学、大阪音楽大学、桐朋学園大学、東京芸術大学、 京都市立芸術大学でもガンバが学べるようになっている<ref name=":0" />。
 
== 作曲 ==
[[ディートリヒ・ブクステフーデ|ブクステフーデ]]、[[ゲオルク・フィリップ・テレマン|テレマン]]、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]などがヴィオラ・ダ・ガンバのための作曲を行なった。
 
* [[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]: ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ BWV1027, 1028, 1029
 
== ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者 ==
*[[ヴィーラント・クイケン]]
*[[ジョルディ・サバール]]
*[[ニコラウス・アーノンクール]]
 
== ギャラリー ==
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ファイル:Viol, fidel and rebec.jpg|左端の楽器がヴィオラ・ダ・ガンバ
</gallery>
 
== ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者 ==
*[[ヴィーラント・クイケン]]
*[[ジョルディ・サバール]]
*[[ニコラウス・アーノンクール]]
 
== 脚注 ==