「青梅街道」の版間の差分

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明治時代になってからは、『[[皇国地誌]]・西多摩郡村誌』によると「東京街道」「甲州脇往還」などと呼ばれた{{Sfn|東京都教育委員会|1995|pp=16–20}}。
 
[[内藤新宿]]で甲州街道から分かれ、青梅から[[大菩薩峠]]を経由し、甲府の東にある[[酒折|酒折村]](現・甲府市酒折)で甲州街道と再び合流する。このため、青梅街道は江戸と甲府を結ぶ甲州街道の他にも往来できるルートであったことから'''甲州裏街道'''とも呼ばれた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=122}}。また、青梅街道最大の難所が大菩薩峠であることから、別名'''大菩薩峠越え'''とも呼ばれた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=122}}。
 
これら時代や地域によって様々な呼ばれ方をした道が「青梅街道」と固有名詞化されるのは[[1880年]](明治13年)から[[1886年]](明治19年)にかけて作成された[[迅速測図]]からとされ{{Sfn|東京都教育委員会|1995|p=22}}、その後[[東京都建設局]]によって[[1962年]](昭和37年)に[[東京都通称道路名]]に正式に設定された。