「ジェノサイド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: 2017年版ソースエディター
参考文献セクションを設ける
4行目:
 
== 定義と由来 ==
{{lang|en|genocide}} は[[ギリシャ語]]の {{lang|grc|γένος}}([[種族]])と[[ラテン語]] {{lang|en|-caedes}}(殺戮)の[[合成語]]であり<ref name="西井2007-51"/>、[[ユダヤ系ポーランド人]]の法律家{{仮リンク|ラファエル・レムキン|en|Raphael Lemkin}}により『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治』(1944年)の中で使用された造語である<ref name="{{Sfn|スプリンガー|2010-16-19">ジェーン・スプリンガー著・[[石田勇治]]解説・築地誠子訳『1冊で知るジェノサイド』原書房、2010年2月26日 第1刷、ISBN 978-4-562-04523-5、16~19頁。</ref>|pp=16–19}}<ref name="西井2007-51"/><ref>[http://www.meijigakuin.ac.jp/~cls/kiyo/90/hougakukenkyu90_soeya.pdf 大量虐殺(ジェノサイド)の語源学-あるいは「命名の政治学]{{Sfn|添谷育志、明治学院大学法学研究90号、|2011|p=28ページ、2011年1月</ref>}}
 
=== ラファエル・レムキンによる発案 ===
レムキンは、ドイツの大学で言語学を学んでいる頃、[[アルメニア人虐殺]]の生存者でベルリンで[[タラート・パシャ]]を暗殺した{{仮リンク|ソゴモン・テフリリアン|en| Soghomon Tehlirian}}の裁判に関心を持ち、法律を学び始め、1929年に学位を取った<ref name="{{Sfn|スプリンガー|2010-16-19"/>|pp=16–19}}
 
1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻した。レムキンはこれを逃れ、その後スウェーデンを経てアメリカのデューク大学に渡る。[[1944年]]に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側についていた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で、カーネギー国際平和財団から『{{lang|en|Axis Rule in Occupied Europe}}(占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治)』を刊行。同書のなかで、'''「国民的集団の絶滅を目指し、当該集団にとって必要不可欠な生活基盤の破壊を目的とする様々な行動を統括する計画」'''を指す言葉として、「ジェノサイド」という新しい言葉を造語した<ref>{{Sfn|添谷前掲論文、|2011|p=32ページ</ref>}}
 
なお、レムキンが「ジェノサイド」という言葉を思いついたのは[[1941年]]8月、[[ウィンストン・チャーチル]]の[[BBC]]放送演説における「われわれは名前の無い犯罪に直面している」という言葉によるという<ref>{{Sfn|添谷前掲論文、|2011|p=45ページ。}}<ref>{{lang|en|Samantha Power}}、{{lang|en|A Problem from Hell: America and the Age of Genocide}}、ロンドン、フラミンゴ出版社、2002年(邦訳サマンサ・パワー『集団人間 破壊の時代――平和維持活動と市民の役割』(星野尚美訳、ミネルヴァ書房、2010 年{{要ページ番号|date=2015-06-22}})</ref>。のちに、1945 年の[[ニュルンベルク裁判]]の検察側最終論告において、「ジェノサイド」が初めて使用された<ref>{{Sfn|添谷前掲論文、|2011|p=47ページ</ref>}}
 
ジェイムス・J・マーティンらは、レムキンがカーネギー国際平和財団から出版したことや、[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]大統領政権で外国経済行政の主席研究員をつとめており、敵国押収財産の配分と実務処理を担当していたことなどから、ユダヤ・ロビーとの関連も指摘している{{Sfn|添谷|2011|p=48}}<ref>添谷前掲論文、48ページ。 James J. Martin, The Man Who Invented ‘Genocide’: The Public Ca- reerCareer and Consequences of Raphael Lemkin, California: Institute for Historical Review, 1984。木村愛二『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版,1995年)325-327 頁。</ref>。
 
[[日本語]]では'''「集団殺害」'''と訳されるが、ジェノサイドの実際の規定では殺害が伴わない場合もある。また、集団殺人であっても、民族・人種抹殺の目的を伴わない場合はジェノサイドに当らない。
 
また政治学者の[[添谷育志]]も「ジェノサイド概念を超歴史的に適用することは、歴史責任問題を無限に拡大することになりかねない」とも指摘している<ref>{{Sfn|添谷前掲論文 |2011|p=41ページ</ref>}}
 
== ジェノサイド条約 ==
106行目:
*文化的・[[宗教]]的な集団の文化的・宗教的・歴史的な存在等の全部または一部を破壊する意図をもって、1つの文化的・宗教的集団の構成員または文化的・宗教的・歴史的な資産に対して行われる行為を、「'''文化的なジェノサイド'''」([[文化浄化]])と言う。
 
*[[聖書信仰]]における[[聖絶]]([[ヘーレム]])を、[[ホロコースト]]、ジェノサイド、[[殲滅]]として解釈する説がある<ref group="注釈">文語訳聖書では、通常「絶滅」などと訳される民数記21:3の「ホルマ」(ヘーレムの語根ハラムの派生語。新改訳聖書ではホルマがそのまま使われている)を「殲滅」と訳し、「ほろぼし」のルビを振っている</ref><ref>[[小坂井澄]]『さまよえるキリスト教』徳間文庫、2000年、ppp.84~8784 - 87</ref>。
 
== 脚注 ==
113行目:
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflistReflist|3}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書|last=スプリンガー |first=ジェーン |authorlink= |coauthors= |translator=築地誠子 |others=石田勇治解説 |title=1冊で知るジェノサイド |publisher=原書房 |year=2010 |isbn=9784562045235 |ref={{SfnRef|スプリンガー|2010}} }}
* {{Cite journal |和書|author=添谷育志 |authorlink=添谷育志 |title=大量虐殺(ジェノサイド)の語源学——あるいは「命名の政治学(ポリティクス)」 |journal=明治学院大学法学研究 |volume= |issue=90 |publisher=明治学院大学法学会 |year=2011 |pages=23 - 108 |url=https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=600&file_id=18&file_no=1 |ref={{SfnRef|添谷|2011}} }}
 
== 関連項目 ==