「死んだふり解散」の版間の差分

しかし、前年の1985年7月17日に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が[[衆議院]]の[[議員定数]]の不均衡([[一票の格差]])に対して[[違憲判決]]を出しており、この問題が解散総選挙の障害となっていた。
 
そこで[[内閣 (日本)|政府]]・[[与党]]は議員定数不均衡を是正するために[[公職選挙法]]改正案を提出し、野党は定数是正を名目に中曽根首相が解散総選挙に出ることを恐れて交渉のテーブルにはついた{{Sfn|藤本一美|2011|pp=223-224}}。選挙区区分については各党とも基本的に了承したが、周知期間が問題となり、野党は中曽根首相が衆参同日選挙に強い意欲を持っていることが伝えられる中で野党側は周知期間を6ヶ月という長期に設定して解散封じを狙い、自民党は次の総選挙から施行を主張して与野党が対立した{{Sfn|藤本一美|2011|p=224}}。最終的に各党は[[坂田道太]]衆議院議長に調停をゆだね、新公職選挙法は公布の日から30日以後に公示される総選挙から実施という形で30日の周知期間が設けられた{{Sfn|藤本一美|2011|p=224}}。野党内には、「公示日6月21日・投票日7月6日」とすれば衆参同日選挙は可能という見方はあったものの、そのために必要な会期延長や臨時国会召集は自民党内にも強い反対があるため困難であることと議長調停案の拒否は中曽根首相に解散の口実を与えることになりかね得ないことから、最終的に議長調停案を受け入れた{{Sfn|藤本一美|2011|p=225}}。
 
1986年5月22日に[[参議院]]本会議で可決・成立して議員定数不均衡問題は解決した。同日に社会党と公明党と民社党と社民連の四党は「中曽根首相が解散権を恫喝の手法として乱用しているとし、解散のための臨時国会の召集と衆参同日選挙に断固反対する」との共同声明を出した{{Sfn|藤本一美|2011|pp=224-225}}。中曽根首相は[[5月24日]]に内閣記者会と会見し「衆議院解散は念頭にない」と述べた{{Sfn|藤本一美|2011|p=226}}。