「浅丘ルリ子」の版間の差分

仲の良い[[佐久間良子]]の初主演映画、1963年の[[東映]]『[[五番町夕霧楼 (1963年の映画)|五番町夕霧楼]]』を観て大きなショックを受ける{{Sfn|俳優全集|1980|pp=17-19}}<ref name="cinemasplus"/><ref name="M平凡196410">{{Cite journal |和書 |title = 特集 大人の演技で勝負したい! 曲がり角に来た6人の美男美女スター 悪女をやってみたい 浅丘ルリ子 |journal = 月刊平凡 |issue = 1964年6月号 |publisher = [[マガジンハウス|平凡出版]] |pages = 88 }}</ref>。「正直いって[[女性映画]]の主人公がやれる佐久間さんがうらやましい。何も知らないまま、ただ夢中で10年間を過ごしてきたけど、100本も映画に出て代表作がないのは恥ずかしいワ。私は男性映画の[[つま#派生語|サシミのツマ]]のようなもの。もっと自分の仕事を大切にしたい。作品を選んでそろそろ賞の対象になるような仕事をしたい」などと[[マスメディア]]に訴え{{Sfn|俳優全集|1980|pp=17-19}}<ref name="M平凡196410"/>、今まで何一つ文句もいわず、会社のいいなりになってきたが<ref name="M平凡196410"/>、1964年1月の会社との契約更改で、他社出演を認めて欲しいと直談判した{{Sfn|俳優全集|1980|pp=17-19}}<ref name="cinemasplus"/><ref name="M平凡196410"/>。浅丘は東映の女優が毛嫌いするような[[緑魔子]]主演『[[ひも (映画)|ひも]]』のような"不良性感度映画"に「ああいう役ならぶつかって悔いはない」と発言するなど<ref name="W明星19650228">{{Cite journal |和書 |title = 勝負作にしたい『愛の渇き』 浅丘ルリ子11年目の意欲 |journal = [[週刊明星]] |issue = 1965年2月28号 |publisher = [[集英社]] |pages = 86-87 }}</ref>、会社の準備した『[[肉体の門 (1964年の映画)|肉体の門]]』『悲恋十年』『[[人生劇場#日活・舛田利雄監督版|人生劇場]]』などを蹴り{{Sfn|俳優全集|1980|pp=17-19}}<ref name="cinemasplus"/><ref name="W読売19661018">{{Cite journal |和書 |title= 《芸能》 この人 浅丘ルリ子 『精神的なハダカの役を』 |journal = [[週刊読売]] |issue = 1966年10月18日号 |publisher = [[読売新聞社]] |pages = 34 }}</ref>、初めて女優として自己主張した{{Sfn|俳優全集|1980|pp=17-19}}。自身で企画を持ち込むようになり<ref name="W明星19650228"/>、1964年から1966年にかけて出演ペースが落ちた<ref name="W読売19661018"/>。他社出演の希望は『[[日本一の男の中の男]]』([[東宝]])まで3年かかった{{Sfn|俳優全集|1980|pp=17-19}}<ref name="cinemasplus"/><ref>{{cite journal |和書 |title = SCREEN GUIDE 新春映画ガイド |journal = 近代映画 |issue = 1981年4月号 |publisher = [[近代映画社]] |pages = 161 }}</ref>。
 
[[蔵原惟繕]]監督の『[[銀座の恋の物語]]』(1962年)や、『[[憎いあンちくしょう]]』(1962年)、『[[何か面白いことないか]]』(1963年)、『[[夜明けのうた]]』(1965年)の典子三部作により男性スターの彩り的存在から脱皮{{Sfn|俳優全集|1980|pp=17-19}}、100本出演記念映画となった蔵原惟繕監督の『[[執炎]]』では、愛する夫を戦争に奪われた女性の姿を演じ、同じ蔵原監督の映画『[[愛の渇き]]』(1967年)でも熱演を魅せた。映画『戦争と人間』にも出演した<ref>https://www.allcinema.net/cinema/143329</ref>。蔵原惟繕とは愛人関係にあった<ref>[[林真理子]]『RURIKO』</ref>。
 
1966年には日活との専属契約を解消し、[[石原プロモーション|石原プロ]]へ入社。1972年、石原プロが劇場用映画製作から撤退したことにより石原プロ退社。また、映画の主題歌などを中心に歌手としても多くの曲を発表、1969年のシングル『[[愛の化石]]』はヒットした<ref>『近代映画』1970年3月号、近代映画社、134-141頁。</ref>。