「ブレーカー・ボーイ」の版間の差分

 
1830年以前のアメリカでは、瀝青炭の採掘はほとんど行われず、アメリカ産業革命初期の燃料である[[無煙炭]]は市場に送られる前にはほぼ加工されることがなかった(この市場は[[錬鉄]]を製造する鉄工所や鍛冶場であった)。
坑内で鉱山労働者は大型ハンマーで大きな石炭の塊を砕くと、5センチ間隔の歯を備えた熊手で大きめの破片を集めて、地表へと移送した<ref name="Korson">Korson, George Gershon. ''Black Rock: Mining Folklore of the Pennsylvania Dutch.'' Manchester, N.H.: Ayer Publishing, 1950. {{ISBN|0-405-10607-6}}</ref>。小さな破片は売り物にならないと見なされ、坑内に残された<ref name="Korson" />。
 
1830年ころから、アメリカでは東海岸のさまざまな運河計画に合わせて、石炭の表面処理が行われるようになった。アメリカのこうした動きはイギリスに比べると遅れており、ヨーロッパ大陸と同時期であった。国土から森林が失われつつあったイギリスは他国よりも早く経済的な代替燃料を発見する必要があった、という単純な事情があり、石炭・鉄・機械の技術開発が促進された結果、最終的には鉄道や1860年代に生まれた化学工業がもたらされた。石炭の塊は穴を開けた鋳鉄製の板の上におかれ、ブレーカーと呼ばれた労働者が、石炭を穴を通って落ちるほど小さくなるまでハンマーで砕いた<ref name="Korson" />。第二の[[ふるい]]が穴から落ちてきた石炭を受け止めて、売り物にならないほど小さな破片を振るい落とすために揺り動かされた(これには人の手や動物、蒸気、水力が動力源として用いられた)<ref name="Korson" />。大きさを揃えた石炭は発火点を超えた後は手間もかからず燃焼するため、砕いてふるいにかけた石炭は、砕いただけの石炭や石炭の塊よりも遥かに価値が高かった。