「ドナルド・スレイトン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m bot: 解消済み仮リンク34番発射台を内部リンクに置き換えます
51行目:
 
===戦後===
除隊後、[[ミネアポリス]]にある[[ミネソタ大学ツインシティー校|ミネソタ大学]]に入学し、[[航空工学]]を学んだ。学生時代は、{{仮リンク|復員兵援護法|en|G.I. Bill}}(GIビル([[GI法]])による支援を利用したり、{{仮リンク|モンゴメリー・ワード|en|Montgomery Ward}}の倉庫で働いたりして生活を支えた。1949年に大学を卒業し、[[ワシントン州]][[シアトル]]の[[ボーイング]]社にエンジニアとして就職した<ref name=nasajsc>{{cite web |url=https://www.nasa.gov/sites/default/files/atoms/files/slayton_donald.pdf |date=June 1993 |title=Deke Slayton |publisher=[[NASA]] |accessdate=March 29, 2019}}</ref>。シアトルでは、下宿をしながらジュニア・デザイン・エンジニアとして働き始めた。ボーイング社では、[[B-52 (航空機)|B-52ストラトフォートレス]]や[[KC-97 (航空機)|KC-97ストラトフレイター]]などの開発に携わった<ref name=deke! />{{rp|40–47}}。
 
大学在学中に[[空軍予備役軍団]]に入隊し、[[ミネアポリス=セントポール国際空港]]でT-6テキサンのパイロットを務めた。その後、A-26インベーダーや[[P-51 (航空機)|P-51ムスタング]]が操縦できるようにするため、大尉から少尉への降格を受け入れ、{{仮リンク|ミネソタ空軍州兵|en|Minnesota Air National Guard}}(ANG)に移行した。その後、シアトルに移ったのを機に、ミネソタ空軍州兵を退役した。[[朝鮮戦争]]の勃発に伴い、シアトルの空軍予備隊に入隊しようとしたが、予備役の資格が失効しているという理由で拒否された。しかし、ミネソタ州の飛行隊長に連絡を取り、1951年2月に元の飛行隊に復帰するようにとの申し出を受けた。復帰後、スレイトンは当初、視力低下を理由に飛行資格を失っていた。視力回復を待つ間は整備士として勤務し、飛行可能な状態になってからは整備飛行試験士となった<ref name=deke! />{{rp|40–49}}。