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バングラデシュが[[1971年]]に独立すると、[[1972年]]に先住民族(ジュマ)は{{仮リンク|チッタゴン丘陵人民連帯連合協会|en|Parbatya Chattagram Jana Sanghati Samiti}} (PCJSS) という政党を作り独立運動を開始し、翌年から{{仮リンク|バングラデシュ陸軍|en|Bangladesh Army}}との戦闘状態に入った。
 
[[1977年]]、民族の自決権を求める{{仮リンク|シャンティ・バヒーニー|en|Shanti Bahini}}と{{仮リンク|バングラデシュ陸軍|en|Bangladesh Army}}との間で{{仮リンク|チッタゴン丘陵地帯紛争|en|Chittagong Hill Tracts conflict}}([[1977年]]-[[1997年]])が勃発。紛争から避難した人々が、主に[[インド]][[トリプラ州]]に大量に流出した。また、約1万人が[[ミゾラム州]]、そして数千人(のマルマ族)が[[ミャンマー]]に逃れた。
 
[[1979年]]、バングラデシュ政府のベンガル化政策によって、チッタゴン丘陵地帯にベンガル人が大量入植した結果、チッタゴン丘陵地帯におけるジュマとベンガル人の人口比は1990年代初頭にはほぼ1対1となった。
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=== 主要な先住民族集団(ジュマ) ===
チッタゴン丘陵地帯の先住民族の部族数に関しては長年論争が続いていたが近年では以下の12民族とする説がジュマ民族内で広く受け入れられている。論争は主としてサブトライブに関するものであった。例えば、チャクマとトンチョンギャおよびキャンは言語/宗教/慣習に於いて同一であり、トンチョンギャとキャンはチャクマ民族のサブトライブであると考えることが出来る。なお、イギリス植民地時代に軍人として同地に赴任し、独立後も残留した少数の[[グルカ兵|グルカ人]]の子孫が丘陵地帯で暮らしているとされているが、実態は不明であり、また彼らは移民の子孫であって先住民族ではない。
 
[[ファイル:Tanchangya women.jpg|thumb|{{仮リンク|トンチョンギャ族|en|Tanchangya people}}]]
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=== ベンガル人 ===
[[1947年]]の独立時、丘陵地帯に暮らす[[ベンガル人]]はごく少数であった。その後、{{仮リンク|カプタイダム|en|Kaptai Dam}}開発(後述)などで丘陵地帯に来て定住したベンガル人人口は[[1971年]]のパキスタンからの独立時で約5万人と言われている。これらの人々とその子孫は1997年和平協定においてチッタゴン丘陵地帯評議会の選挙権を認められ、つまりは先住民族と同等な権利を有する正当な居住者とされた。ベンガル人人口の大多数は政府の入植政策により移住した人々である。また、入植政策とは無関係に職を求めて平野部から非合法に移住してくるベンガル人も少なくない。
 
== カプタイダム ==
[[ファイル:Kaptai Dam (03).jpg|thumb|カプタイダム(2020年)]]
{{仮リンク|カルナプリー川|en|Karnaphuli River}}上流域にあたるチッタゴン丘陵地帯では、20世紀初頭にダムの建設構想が浮上した。数度の計画変更を経て1957年から{{仮リンク|カプタイダム|en|Kaptai Dam}}の建設が始まり1962年に完成した<ref name="boi">{{cite book |last=Bari |first=M Fazlul |year=2012 |chapter=Dam |chapter-url=http://en.banglapedia.org/index.php?title=Dam |editor1-last=Islam |editor1-first=Sirajul |editor1-link=Sirajul Islam |editor2-last=Jamal |editor2-first=Ahmed A. |title=Banglapedia: National Encyclopedia of Bangladesh |edition=Second |publisher=Asiatic Society of Bangladesh}}</ref>。1988年にカプタイ水力発電所の本格運転が始まり、今日に至るまでバングラデシュ唯一の[[水力発電|水力発電所]]となっている<ref>{{Cite journal|title = People versus Power: The Geopolitics of Kaptai Dam in Bangladesh|last = Saila Parveen|first = I. M. Faisal|date = 21 July 2010|journal = International Journal of Water Resources Development|volume = 18|pages = 197–208|doi = 10.1080/07900620220121756}}</ref>。また、カプタイダムの[[人造湖|ダム湖]]である{{仮リンク|カプタイ湖|en|Kaptai Lake}}はバングラデシュ最大の湖である。ダムの建設によって家屋や農地を失った農民に対しての補償は行われず、4万人以上のチャクマ族がインドの[[アルナーチャル・プラデーシュ州]]への移住を余儀なくされた<ref>{{cite news |url=http://indianexpress.com/article/explained/how-chakmas-and-hajongs-settled-in-north-east-why-arunachal-worries-about-citizenship-4851866/|title=How Chakmas and Hajongs settled in North East, why Arunachal worries about citizenship|work=The Indian Express|date=20 September 2017}}</ref>。この土地不足がチッタゴン丘陵地帯紛争の主な原因だと考えられている<ref name="boi"/>。
 
== 脚注 ==