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| サイズ = ブランケット判
| 事業者 = 株式会社長野日報社
| 本社 =
| 代表者 = 佐久秀幸(代表取締役社長)
| 編集者 =
| 創刊 = 1901年6月15日
| 前身 = 諏訪新報<br />(1901年~1902年)<br />南信評論<br />(1902年~1905年)<br />南信日日新聞<br />(1905年~1939年)<br />南信毎日新聞<br />(1939年~1942年)<br />南信日日新聞<br />(1945年~1991年)
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| 設立 = 1946年7月30日
| 資本金 = 7500万円
| 売上高 =
| 総資産 =
| 従業員数 = 105人(2018年12月期)
| 決算期 =
| 主要株主 =
| 主要子会社 = 株式会社長野ピーアール<br />株式会社日報ツーリスト<br />日報販売有限会社
| 関係する人物=
| 外部リンク =
| 特記事項 =
}}
'''長野日報'''(ながのにっぽう)は、株式会社長野日報社が[[長野県]][[南信地方|南信]]の[[諏訪地域|諏訪地方]]および[[上伊那地域|上伊那地方]]で発行する地方新聞。[[日本新聞協会]]および[[全国郷土紙連合]]加盟社。
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ブランケット判の朝刊紙で、公称部数5万8000部(2009年)<ref>「MEDIA BOOK 2010」読売新聞東京本社、2010年1月27日</ref>。諏訪地方を対象とした「諏訪版」(隣接する[[山梨県]][[北杜市]]の一部を含む)および上伊那地方を対象とした「伊那版」の2版を発行し、両版で面建てが異なる。全国ニュースについては[[時事通信社]]の配信を受けているほか、[[読売新聞社]]の地域紙記事写真配信サービスにも加盟している。
 
[[伊那市]]、[[長野市]]、東京都[[中央区 (東京都)|中央区]]に支社、[[茅野市]]、[[岡谷市]]に総支局および総局、[[富士見町]]、[[駒ヶ根市]]、[[辰野町]]、[[松本市]]に支局を置き、関連企業として株式会社長野ピーアール(広告代理業)、株式会社日報ツーリスト(旅行業)、日報販売有限会社(新聞販売業)の各社を持つ。「諏訪湖マラソン」、「長野文学賞」([[2008(2008]]終了)、「信州書道展」などの地域事業を主催している。
 
県紙の[[信濃毎日新聞|信濃毎日新聞社]]やタブロイド判地域紙の[[信州市民新聞グループ|岡谷市民新聞社]]と競合する中、「地域第一主義」をかかげており、地域面は市町村別に面を分割して、行政や年中行事など市町村の地域の話題を数多く掲載している。出資比率が全体の10%を超える[[株主|大株主]]はおらず、紙面で特定の政治的な主義主張を展開するケースはみられない。「おくやみ」欄では本人の顔写真に加え、遺族の希望に応じて配偶者や子どもの来歴などを細かく紹介している。
 
==歴史==
 
===戦前===
[[1901年]](明治34年)6月15日、月刊紙『諏訪新報』として[[長野県]][[諏訪郡]][[上諏訪町]](現・[[諏訪市]])で創刊した。翌[[1902年]]、競合紙の『信濃新聞』を合併して『南信評論』と改題し、のち旬刊から週刊発行に変更。[[1904年]]、修文館印刷所(上諏訪町角間)に本社を置いたあと、同町末広町に本社屋を新築し移転。週刊から月6回発行とした。[[1905年]]、『南信日日新聞』(なんしんにちにちしんぶん)に改題。[[1908年]][[2月]]には、日本初の[[スケート]]競技大会となった「諏訪湖一周スケート大会」を開催した<ref>「初の競技スケート  天然リンク諏訪湖一周(スポーツ百年物語)」 『朝日新聞』東京本社、1999年2月4日付朝刊</ref>。
 
[[1901年]](明治34年)6月15日、月刊紙『諏訪新報』として[[長野県]][[諏訪郡]][[上諏訪町]](現・[[諏訪市]])で創刊した。翌[[1902年]]、競合紙の『信濃新聞』を合併して『南信評論』と改題し、のち旬刊から週刊発行に変更。[[1904年]]、修文館印刷所(上諏訪町角間)に本社を置いたあと、同町末広町に本社屋を新築し移転。週刊から月6回発行とした。[[1905年]]、『南信日日新聞』(なんしんにちにちしんぶん)に改題。[[1908年]][[2月]]には、日本初の[[スケート]]競技大会となった「諏訪湖一周スケート大会」を開催した<ref>「初の競技スケート 天然リンク諏訪湖一周(スポーツ百年物語)」 『朝日新聞』東京本社、1999年2月4日付朝刊</ref>。
 
[[満州事変]]後行われた[[新聞統制]]によって、南信日日新聞は[[1939年]]、諏訪地方の『南信毎日新聞』(旧)、『信濃民友新聞』、『高原日日新聞』、『湖竜日報』の各紙と合併したあと(第1次統合)、『信陽新聞』および『岡谷毎夕新聞』の両紙とも合併(第2次統合)し、『南信毎日新聞』に改題した。しかし[[新聞事業令]]にもとづく[[1942年]][[4月30日]]の第3次統合で『[[信濃毎日新聞]]』に統合され、廃刊した。
 
===戦後===
 
南信毎日新聞は終戦直後の[[1945年]]10月5日、『南信日日新聞』として週刊で復刊した。同年12月4日には隔日刊に移行し、翌[[1946年]]1月1日から日刊発行(夕刊)を開始した。同年7月30日に株式会社南信日日新聞社に転換し、東京、長野、松本、飯田、伊那、木曽福島に支社局を設置した。[[1967年]]5月5日、諏訪市高島3丁目に建設した新本社に移転し、同時に新輪転機を導入した。
 
[[1983年]]には現在の本社ビルが完成。同年3月24日に上伊那地方の[[伊那市]]、[[駒ヶ根市]]を対象とする『伊那日報』『駒ケ根日報』を創刊したのを皮切りに、[[1985年]]にかけてそれまでエリア外だった中南信地方の各地に、『塩尻日報』、『宮田日報』、『辰野日報』、『飯島中川日報』、『木曽日報』と、『日報』題号の地域紙を相次いで創刊した<ref>[http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/2320/1/KJ00000096159.pdf{{Cite journal|和書|author=吉岡雅光 |title=地域新聞の地域求心力] 吉岡雅光、|journal=立正大学人文科学研究所年報. 別冊11、 |ISSN=0288-7681 |publisher=立正大学人文科学研究所 |year=1997年3月20日発行、2019年4月21日閲覧 |month=mar |issue=11 |pages=15-29 |naid=120005420688 |url=https://hdl.handle.net/11266/2320 |accessdate=2021-10-01}}</ref>。
1985年にハマダ印刷機械製の「ニュークラウナ」オフセット輪転機と新発送ラインを導入。[[1987年]]9月1日に夕刊から朝刊に移行した。
 
===長野日報への改題===
 
[[1992年]]1月1日、『南信日日新聞』と『日報』グループ8紙を統合して題号および社名を『長野日報』に改称し、諏訪版、伊那版、塩尻版、木曽版の発行を始めた。[[1993年]]12月にはコンピューターを利用した新聞編集システム「[[マルメロ|かりん]]」が稼働。[[2000年]]10月、新聞社として世界初となる[[ISO14001]]の認証を取得し、[[2001年]]に新しい新聞編集システムを導入した。
 
[[2005年]]、発行部数の低迷を理由に、塩尻版および木曽版の発行を休止し、塩尻支社および木曽支局を閉鎖した。木曽版については、塩尻版で競合関係にあった[[市民タイムス]]([[松本市]])が発行を事実上引き継いだ。[[2009年]]3月、本社隣接地に印刷センターが完成し、西研グラフィックス製の「西研65型」オフセット輪転機と新編集システムの使用を開始した<ref>[http://www.nichiin.co.jp/news/kiji/1241738298_3353_2.html 「長野日報社(長野県諏訪市)、新聞社初のアズーラ採用」] 日本印刷新聞、2009年5月2日</ref>。[[2010年]]からは読売新聞社との間で、イベント記事やおくやみ記事などを交換する編集協力を行っている<ref>[http://www.pressnet.or.jp/news/headline/100801_705.html 「読売と長野日報が記事交換を開始」] 日本新聞協会、2010年8月1日</ref>。
 
==題号の商標権者について==
南信日日新聞社が『長野日報』に改題する直前の[[1991年]]、競合紙である信濃毎日新聞(信濃毎日新聞株式会社)は、新聞・雑誌の[[商標]]として『長野日報』([[1991(1991]][[10月8日]]出願、商願平3-121426)および『南信日日新聞』(1991年[[11月22日]]出願・商願平3-105135)をともに出願した。
 
『長野日報』は[[1994年]][[4月28日]]に(第2654496号)、『南信日日新聞』は1994年[[2月28日]]に(第2624020号)信濃毎日新聞の商標として登録された。しかし登録公報の発行後も、長野日報社側の登録異議申し立ては現在に至るまでなぜか行われておらず、長野日報社は競合他社が権利を押さえている商標で新聞を発行するという異例の状態が続いている。
 
一方、松本市に本社を置く『[[市民タイムス]]』についても信濃毎日新聞は[[1995年]]、系列の株式会社信毎販売センターによって印刷物・写真の商標として登録を出願し、[[1997年]][[8月29日]]に信毎販売センターの商標として登録(第4051283号)された。しかし市民タイムス側は同年[[11月]]の登録公報発行直後、即座に登録異議申し立て(平成10年異議第90089号)を行う対応を取り、[[特許庁]]は[[1999年]][[1月11日]]、信毎販売センター側の『市民タイムス』商標のうち、印刷物の登録について取り消す決定を下している。
 
信濃毎日新聞は『長野日報』『南信日日新聞』の両商標について[[2013年]]に2回目の登録更新を行い、引き続き商標権を保有している一方、長野日報社は長野県[[飯田市]]の地域紙『[[信州日報]]』休刊(2013年[[11月30日]])直後の同年[[12月13日]]、新聞・雑誌の商標として『信州日報』を出願し、[[2014年]][[9月16日]]に登録(第5700003号)されている。
 
== 本社・支社局 ==
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*松本支局
**松本市城東2-2-1
 
==脚注==
{{reflistReflist}}
 
==外部リンク==
* [http://www.nagano-np.co.jp/ 長野日報社]
* [http://suwako.marathon.fm/ 諏訪湖マラソン公式サイト] - 長野日報社と諏訪湖マラソン大会実行委員会が共催するハーフマラソン大会。
 
{{日本の主な新聞}}
 
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[[category:長野県の新聞]]