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== 歴史と機能 ==
多くの印籠は平たい[[長方形]]をしており、素材は紙製、木製または金属製で3段から5段くらいに分割できるようになっている。最も多いのが紙製で、[[和紙]]と[[漆]]を何層にも巻いて固めて本体部分を形成している。これは木製では歪みやひび割れが起きやすく、特に持ち歩く装身具としては耐久性に問題があるからである{{sfn|村田|2017|pp=104-106}}<ref name = "saimitsu79"/>。一般的に表面には漆が塗られ、[[蒔絵]]、[[螺鈿]]、[[象嵌]]、[[切金]]などが施されたものもあり、この点から[[日本の漆器]]の一部でもあるともいえる。着装する場合は、印籠の各段の両脇に[[紐]]を通して印籠の上で{{ill2|緒締め|en|Ojime}}で束ねて、紐を[[着物]]の[[帯]]の裏側に潜らせ、紐の先端についた[[根付け]]を帯の上端に引っ掛けて印籠を腰からぶら下げた。
 
印判を入れる箱としては日本には中国から印判入れが渡来していたが、これは食品の入れ物や床の間の棚の置物としても利用される据え置き式のものであった<ref name = "saimitsu79"/>{{sfn|服部|2010|p=15}}。一方、印籠は日本で独自に進化した小型の携帯用の容器で、主に印判や常備薬を入れていた<ref name = "saimitsu79"/>{{sfn|服部|2010|p=15}}。『[[尺素往来]]』や『[[日欧文化比較]]』の記述から、[[室町時代]]には日本人が香料や薬、火打石などを入れた小さな袋を腰に下げて持ち歩く習慣があったとみられており{{sfn|服部|2010|pp=14-15}}、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には貴重品である薬を数種類携行できる頑丈な積み重ねの箱型容器として印籠が登場した<ref name = "saimitsu79"/>{{sfn|服部|2010|p=16}}。一方、[[茶道|茶の湯]]の文化との関連性も指摘されており、茶器の[[棗 (茶器)|棗]](なつめ)が積み重ねの様式をもつ「印籠」の名を借りて薬の携帯容器に発展したものとも考えられている{{sfn|服部|2010|pp=15-16}}。