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== ムスハフ解釈本 ==
ムスハフ解釈本とは、イスラーム教徒ではない異教徒の手により外国語に翻訳された本文のみのムスハフのことである。などのよう加えて、注釈や解説が含まれているムスハフについては、これをどう呼ぶかについて、はっきりとしていない。<ref>『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年P64</ref> 異教徒の読者よる注釈であってムスハフの翻訳本をを読むためには、訳者による注釈や解説は、翻訳作業にとって不可欠なものであると言える。そため異教徒が「ムスハフ解釈本」と呼ぶ場合、注釈や解説付きもついた本と考えたほうが良いようである。
 
異教徒の世界においてクルアーンと呼ばれている、冊子本となった宗教書は、イスラーム教徒にとっては本来のクルアーンではないとされている。イスラーム教徒によるとって、クルアーンそのものというのは、「クルアーンの読誦の中にではなくのみ活きた形になるとされるためである。黙読もできる「の形を持ったクルアーン冊子本自体がについては、イスラーム教徒にとって、クルアーンそのものではなくこれを、ウスマーン版「ムスハフ」と分類されているためである。<ref> 『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 P125 後藤</ref>
 
<ref>ムスハフ本文には、ムスリムは異教徒とクルアーンについての講釈や論争をしてはならないという規定存在している。そため、注釈や解説付きのムスハフ解釈本あっ、存在してはならない、それは神の命令である、という受け止め方がされているようだ。</ref>
異教徒の世界においてクルアーンと呼ばれている宗教書は、イスラーム教徒にとっては本来のクルアーンではないとされている。イスラーム教徒によるクルアーンの読誦の中にではなく、本の形を持ったクルアーン冊子本自体が、イスラーム教徒にとっては、クルアーンそのものではなく、ウスマーン版「ムスハフ」と分類されているためである。<ref> 『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 P125 後藤</ref>
<ref>ムスハフ本文には、ムスリムは異教徒とのクルアーンの講釈や論争をしてはならないという規定も存在しているので、注釈や解説付きのムスハフ解釈本はあってはならないという受け止め方がされているようだ。</ref>
 
イスラーム教では、アラビア語以外の言葉に、ムスハフを翻訳してはならないとする時代もあった。<ref>『コーラン 上』井筒俊彦著 岩波書店 1957年 P299 解説</ref>