「四子王旗」の版間の差分

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|pinyin = Sìzĭwáng
|katakana = スーズーワン
|mongolian = {{mongol|ᠲᠦᠷᠪᠡᠳ <br>ᠬᠤᠰᠢᠭᠤ}}
|mongolian_cyrillic = {{unicode|Дөрвөд}}
|mongolian_roma = {{unicode|Dörvöd qosiɣu}}
|class = 旗
|subdivision_type = 国家
}}
 
'''四子王旗'''(ししおうき、モンゴル語:{{mongol|ᠲᠦᠷᠪᠡᠳ<br>ᠬᠤᠰᠢᠭᠤ}} 転写:Dörvöd qosiɣu)は[[中華人民共和国]][[内モンゴル自治区]][[ウランチャブ市]]に位置する[[旗 (行政単位)|旗]]。[[内モンゴル自治区|内モンゴル]]の中部で[[モンゴル国]]に接しており、自治区都[[フフホト市]]の北80kmに位置する。地方政府は烏蘭花(ウンファ)ア・バルガス(烏蘭花にある。
 
== 歴史 ==
四子王とは[[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]の弟である[[ジョチ・カサル]]の子孫のセンゲ(僧格ソナム(索諾布オムブ(鄂木布イルジャム(伊爾扎木の4兄弟を指す。[[17世紀]]初頭、彼らは自分たちの一族を[[満州民族|満州]]率いる[[清]]による[[明]]の征服へ参加させた。[[1649年]]この働きにより鄂木布オムブは清からドロイ・ギュンワン(多羅郡王の位を授けられ、一族を今の四子王旗の場所へ住まわせた。
 
多羅郡王ドロイ・ギュンワンの位は世襲制で受け継がれ、[[1949年]]に[[中国共産党]]により内モンゴルにおける全ての世襲制の地位が廃止されるまでに、14代の子孫へ受け継がれた。最後の王子であったソダナムチョグジ(蘇達那木朝格吉は一般人として1957年に死去した。2003年になって初代の4王子の像がンフに建てられた。
 
== 行政区画 ==
5バルガス(、5ソム(蘇木)、3郷を管轄
* バルガス([[鎮]])
* [[鎮]]:烏蘭花(ウランファ)鎮、吉生太鎮、庫倫図鎮、供済堂鎮、白音朝克図鎮
**オラーンフア・バルガス(烏蘭花鎮)
* [[ソム]]:紅格爾(ホンゴル)ソム、江岸ソム、査干補力格ソム、脳木更ソム、白音敖包ソム
**吉生太鎮
* [[郷]]:東八号郷、忽鶏図郷、大黒河郷
**フレート・バルガス(庫倫図鎮)
**供済堂鎮
**バインチョグト・バルガス(白音朝克図鎮)
* [[ソム]](蘇木)
ホンゴル・ソム(紅格爾蘇木)
**ジャンガー・ソム(江岸蘇木)
**チャガーンボラグ・ソム(査干補力格蘇木)
**ノムホン・ソム(脳木更蘇木)
**バインオボー・ソム(巴音敖包蘇木)
* [[郷]]
**東八号郷
**コジルト(忽鶏図)郷
**大黒河郷
 
== 宇宙船着陸地点 ==
烏蘭花(ウンファ)ア・バルガス(烏蘭花の北約60 kmのホンゴル・ソム(紅格爾ソム蘇木)にあるアムラン草原は有人宇宙船[[神舟5号]]、[[神舟6号]]、[[神舟7号]]、[[神舟8号]]、[[神舟9号]]の第1着陸地点である<ref>神舟家園 [http://www.szwq.gov.cn/information/szwq12/msg257863963.html]</ref>。ウランフとホンゴルの間には宇宙船の回収のために建設された道路があり、2つの町の間の所要時間を2時間から40分へ縮めた。
 
== 観光 ==
*葛根塔拉ゲゲーンタラ草原観光センター(葛根塔拉草原旅游中心):査干補力格チャガーンボラグ・ソムにあり、[[モンゴル相撲]]、競馬、競ラクダ、舞踏や[[遊牧民]]の生活を見せるツアーなどがある。
*烏蘭花(ウンファ)サイア犀化石群遺跡:500-800万年前の[[サイ]]の化石群が発見されている。
 
== 参考文献 ==