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イスラーム圏内では、現代においても、イスラム法学者によって、聖典を批判する者を、処刑したり、不信仰者として追放したりすることがある。イスラーム圏内では7世紀に編纂された書物が不変の絶対的聖典とされている。国の憲法の基礎部分を、その古代の書物が固めているとされる国では、不適切な解釈や批判は、赦されないようだ。また、イスラーム学者にとっては、不信仰者や、異教徒によるクルアーン解釈というものは、あってはならない背信行為とされている。そうしたこともあり、自国を追放された不信仰者は、イスラームの聖典や指導者に対する客観的・批判的議論を、異教徒の国において行うことになる。異教徒は、ムスハフ解釈本について、客観的・批判的議論を集積してゆく、という事態となっている。一般的な宗教書の時もあれば、絶対的聖典でもあるという面からすると、ムスハフ解釈本は、多面性を持った宗教書であるといえる。
 
==== イスラーム部でのにおける見解 ====
メディナ時代の10年間においてイスラーム信者は、自分の周りに何か問題が起きると、それをムハンマドにお伺いをを立ててい相談することができた。そして、ムハンマドに相談するだけで、神様の方からそれに関する「啓示」が下されたされる。その場合、信者は、別に改めて神にお伺いを立てなくても、神様の方で「お告げ」を下され良かったと言わている。そして、そのお告げが、信者の問題に対する答えに該当していた、という現象が起きていた場合があったとされる。そのため、ムハンマドが生きていた間は、彼が生きた法典としての立場にあった。その段階から、神の啓示で、「何か問題があればムハンマドに聞けと」いう啓示があり、ムハンマドを王として決定づける段階に進んだ。ところが、そのお告げの中には、「彼は最後の預言者である」とする言葉があり、彼が死んでしまうと、神の直接の啓示はもうない、という事態になってしまった。ムスハフが、絶対的な聖典であるとされる理由とは、そのあとの人間の歴史において、神の預言者と、神の啓示は、もうないと信じられているためである。<ref>『イスラーム文化』井筒俊彦岩波書店1991年P154</ref><ref>歴史的には、ムハンマド以前の数千年間の期間と、彼の死後約1400年の期間を比較してみると、人間の心や、社会の問題の質は変わっていないと言える。しかし、預言者の数は、12400人対 0人というアンバランスな状態が続いている結果となっている。(『聖典クルアーンの思想』大川玲子著 講談社 2004年 P50)</ref>
 
===== 絶対的聖典を否定できない社会 =====