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===== 絶対的聖典を否定できない社会 =====
クルアーンの示す神の啓示に基づいて国を維持してゆくためには、クルアーンに含まれる矛盾をそのままにしておいたのでは、国家が成り立ってゆかないと言える。<ref>神の真理とされるクルアーンに矛盾があると感じるのは、その背信者の解釈の仕方が誤っている、とされている。クルアーンには誤りがないとか、預言者に誤りはないというのは、帝国となった後の為政者が決めたことである。</ref>そこで、イスラム法学者は、時期的に新しい神の真理が前からある神の真理を破棄することが出来るという方法を考え出した。<ref>これにより、「背信者は、その人が背信者であるために、神の真理前後の矛盾や食い違いがあったとしても、そるよ見えるのは、背信者であるから、という見解を、イスラム法学者は主張できるようだ。</ref>
 
詳しくは[[ナスフ]]の項目を参照。
 
第2代カリフのウマルの時代に、イスラームの領土拡大された。それは彼が神から世界征服を命じられた、というようなものではなく、他国への略奪による利益と、それによりウンマの統一を守る共通の活動を維持してゆくということにあったとされている。<ref>『イスラームの歴史』カレン・アームストロング著 小林朋則訳 中央公論新社 P39</ref><ref>彼は、帝国維持のための資金を他国からの略奪によって得ようとしたようだ。彼がそうした行動に出た理由としては、ムハンマドのとったかつての行動がその原因と思われる。かつてムハンマドは、メディナに移住した民を導くのに、略奪・強奪で資金源を得るという行動を選択した。死者を出すことも想定したその選択が、ウマルの他国侵略に直結していたと言えるようだ。</ref> また、ウマルは学者によるクルアーンの解釈の違いからくるウンマの分裂について気を使っていたとされる。彼は、クルアーンの解釈に特に注意を払っていたようだ。<ref>『イスラーム文化』井筒俊彦岩波書店1991年P43</ref>
 
第3代カリフのウスマーンの時代に獲得した領地は、エジプトやイスラエルをはるかに超えた広大なものであった。<ref>『イスラームの歴史』カレン・アームストロング小林朋則訳 中央公論新社2017年P38</ref>