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== 歴史 ==
リオ・ムニは[[1778年]]にエルパルド条約で[[ポルトガル]]から[[スペイン]]に割譲され[[ビオコ島|フェルナンド・ポー島]](後のビオコ島)と[[アンノボン島]]と共に[[スペイン領ギニア]]の一部となった。スペインはリオ・ムニを他の海外[[植民地]]での奴隷を集める場所にすることをもくろんだが、スペイン人の入植者は[[黄熱病]]のために死に、リオ・ムニからはスペイン人はほとんどいなくなった。再入植以降は[[カカオ]]と[[木材]]が主な産品となった。[[1959年]]から[[ビオコ島|フェルナンド・ポー島]](後のビオコ島)と共統合され、[[スペイン領ギニア]]のリオ・ムニなり、スペイフェルナ領ギニアの植民地ド・ポー島さらに[[1963年]]までリオ・ムニ州とフェルナンド・ポー州の2つのスペインの海外州にさらに分割された。さらに[[1964年]]から[[1968年]]までリオ・ムニ州とフェルナンド・ポー州の2つのスペイン海外州は別々の地位を維持しながら、ある程度の内部自治を備えた自治組織であった。[[1968年]]にスペイン領ギニアの自治州であるリオ・ムニ州とフェルナンド・ポー州は統合したまま赤道ギニア共和国としてスペインから独立した。 しかし、独立した翌年の[[1969年]]3月から4月にリオ・ムニで深刻な政治的混乱が発生した。
 
== 産業 ==