「洪川韓国兵士脳腫瘍死亡事件」の版間の差分

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深刻な頭痛を訴えていたが、軍の誤診により、軍医は頭痛薬などを処方していた<ref name=":0" /><ref name=":1">{{Cite web|title=현역사병의 뇌종양 사망에 대한 진실 - 데일리메디팜|url=http://www.dailymedipharm.com/news/articleView.html?idxno=10315|website=www.dailymedipharm.com|accessdate=2021-05-10|language=ko}}</ref>。その間に病状は悪化していき、頭痛が悪化していたため、A兵士が病院に行く旨を中隊長に伝えた所、中隊長に悪口を言われたという<ref name=":0" />。A兵士は食事を摂れず、水を飲んでも吐いてしまう状態になっていた<ref name=":0" />。病状の深刻さを把握した軍関係者は、A兵士に診察のための2週間休暇を与えた<ref name=":0" /><ref name=":1" />。2013/1/25、A兵士は民間病院で診察を受け、脳腫瘍の診断を受けた<ref name=":0" /><ref name=":1" />。A兵士はソウルの大病院で脳腫瘍除去手術を受け、国軍首都病院と一般病院を行き来しながら化学療法を受けたが<ref name=":0" /><ref name=":1" />、軍から医療費が支給されず、家族が医療費を払っていた<ref name=":0" />。5月中旬から病状が急激に悪化し、仁川の病院の集中治療室で闘病していたが、肺炎を患い、意識不明の昏睡状態となり、6/17午前5:30頃に死亡<ref name=":0" /><ref name=":1" />。後に脳腫瘍の発見が遅れたことが判明し<ref name=":0" /><ref name=":1" />、同年2月に軍は世間から激しい批判を受けた<ref name=":1" />。
 
A兵士には両親と姉がおり、A兵士5歳時に父交通事故で障害を患い、ったことで家計が傾いた<ref name=":0" />。そのため母は工場員や電話相談員などの仕事をし家計を支えており、A兵士は母を助けるために肉体労働などの仕事を行なっていた<ref name=":0" />。
 
2016/1/16、2011年に[[論山市|論山]]訓練所にて髄膜炎で死亡したB訓練兵の母主導の下、[[ソウル特別市]][[西大門区]][[峴底洞]]に「軍被害治癒センター」が設立された<ref name=":2">{{Cite web|title=&quot;국방부 말 듣지 말라고 장례식 쫓아다닐 것&quot;|url=https://www.pressian.com/pages/articles/132590|website=www.pressian.com|date=2016-01-16|accessdate=2021-05-10|language=ko}}</ref>。開所式にはA兵士の母と姉、B訓練兵の母、[[漣川後任兵暴行致死事件]]の被害者 C一等兵の母、2015/4の軍内性的暴行事件の被害者で当時治療中のD兵士とその父が参加した<ref name=":2" />。