「エンリケ・グラナドス」の版間の差分

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[[File:Enric Granados 1900.jpg|thumb|upright|33歳ごろのグラナドス(1900年)]]
グラナドスはピアニストとして、[[ウジェーヌ・イザイ]](1858年 - 1931年)、[[マチュー・クリックボーム]]([[:en:Mathieu Crickboom]], 1871年 - 1947年)、[[ジャック・ティボー]](1880年 - 1953年)らのヴァイオリニスト、[[カミーユ・サン=サーンス]](1832年 - 1921年)、[[エドゥアール・リスラー]](1873年 - 1929年)らのピアニストたちと共演した{{sfn|ラルース世界音楽事典|1989|pp=534–535}}。
とくに、1909年からはクリックボーム四重奏団(Vn. マチュー・クリックボーム、ホセ・ロカブルーナ[[:es:José Rocabruna]]、Va. ラファエル・ガルベス、Vc. [[パブロ・カザルス]])とともに、スペイン各地を演奏して回っている{{sfn|ガイドブック音楽と美術の旅 スペイン|1993|p=141}}{{sfn|ブデュ|2014|pp=36–37}}。
 
1914年には[[サル・プレイエル]]で自作演奏会を催して絶賛を浴び、仏西文化交流に貢献したとして[[レジオンドヌール勲章]]を受章した{{sfn|濱田|2013|pp=177–188}}。