「悲しき夜」の版間の差分

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== 戦闘 ==
[[File:Ruta de escape de los españoles hacia Tlaxcala.svg|thumb|upright=1.2|テノチティトランからトラスカラまでの逃走路]]
今の[[メキシコ]]の地に豊かな国があるという噂を聞いたエルナン・コルテスは11隻の船に500人のスペイン人の兵士を乗せて[[1519年]]2月に[[キューバ]]からメキシコの海岸に着いた{{sfnp|Smith|2012|pp=282-283}}。コルテスは{{仮リンク|トトナカ人|en|Totonac}}を味方にしてまずアステカに敵対する[[トラスカラ王国]]に向かい、数千人のトラスカラ人の兵士とともに[[テノチティトラン]]を目指した{{sfnp|Smith|2012|pp=284-285}}{{sfnp|Townsend|2000|p=25}}。テノチティトランの[[トラトアニ]](アステカ皇帝)[[モクテスマ2世]]は彼らを丁重にもてなし、自分の父の[[アシャヤカトル]]の宮殿を使わせた{{sfnp|Smith|2012|p=285}}{{sfnp|Townsend|2000|pp=28-32}}。しかしながらコルテスは海岸でスペイン人が現地人の兵士に襲われたことを理由にモクテスマ2世を幽閉した{{sfnp|Smith|2012|pp=285-286}}。その上でコルテスは、ただしモクテスマ2世自分の意志でコルテスのもとに留まっているかのように見せかけふるまった{{sfnp|Townsend|2000|p=35}}。
 
キューバ総督[[ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル|ディエゴ・ベラスケス]]は自分に従わないコルテスを逮捕しようとして[[パンフィロ・デ・ナルバエス]]をメキシコに送りこんだ。1520年4月、知らせを聞いたコルテスはナルバエス軍と戦うために今の[[ベラクルス]]へ出発した{{sfnp|Smith|2012|p=286}}{{sfnp|Townsend|2000|p=36}}。その間留守をあずかっていた[[ペドロ・デ・アルバラード]]はアステカ人の[[ウィツィロポチトリ]]の祭を止めさせようとして参加者を何百人も虐殺した{{sfnp|Read|González|2002|p=214}}{{sfnp|Smith|2012|p=286}}。怒った[[メシカ]]の軍隊はアシャヤカトルの宮殿を攻撃したが、ナルバエスに勝利して帰ってきたコルテスは反撃した{{sfnp|Smith|2012|p=286}}。