「保釣行動委員会」の版間の差分

保釣行動委員会が設立された後、そのメンバーは最大で100人を超えたこともあったが、2003年には30人にまで減少した。香港保釣行動委員会は多くの分野に関わっているが、釣魚島以外では、主に[[日本の慰安婦問題|慰安婦]]・[[731部隊]]・[[南京大虐殺]]・[[香港陥落]]などの[[日中戦争]]の歴史問題に関わっており、徐々に日本の[[軍国主義]]に反対する組織になってきている。 また、定期的に学校を訪問し、若い人たちに歴史を知ってもらうための講義を行っている。 また、日本の軍国主義を糾弾するために、国際社会の支援を求めている<ref name=kh/>。
 
7月7日の[[盧溝橋事件]]や9月18日の[[満州事変]]、12月13日の南京大虐殺が当たる日などにはこの団体などによるデモが{{仮リンク|セントラルの歩道橋|zh|中環行人天橋}}の真向かいにある[[在香港日本国総領事館]]が入居する[[交易廣場]]付近で毎年行われている。
 
2003年5月19日、{{仮リンク|馮錦華|zh|冯锦华}}、{{仮リンク|張立昆|zh|张立昆}}、{{仮リンク|李南|zh|李南 (保钓人士)}}、{{仮リンク|牛力丕|zh|牛力丕}}、{{仮リンク|周文博|zh|周文博}}の5人は、インターネット上で「保釣行動のため島に乗り込む志願者の募集が正式に始した」という発表を行い、[[保釣運動]]のため海に出る志願者を募った。 募集サイトには、「この保釣運動に呼ばれた志願者は、この活動後に自ら解散し、全ての釣り志願者の情報は、チェックします」とも明記されている。 2003年6月22日朝、中国大陸と香港の保釣人士15人を乗せた漁船「浙玉漁1980号漁船」が、[[浙江省]][[玉環県]][[黄門港]]から釣魚島に向けて出航した。 6月23日、日本の海上保安庁8隻と航空機数機に囲まれた漁船は、釣魚島に到達することができず、24日には[[玉環県]]に戻ることを余儀なくされた<ref name=bqw>{{Cite web |url=http://bjyouth.ynet.com/3.1/1208/26/7407013.html |title=钓鱼岛与我的42年,北青网,2012-08-26 |accessdate=2012-09-18 |archive-date=2014-07-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140726082535/http://bjyouth.ynet.com/3.1/1208/26/7407013.html |dead-url=no }}</ref>。 香港保釣行動委員会の3人のメンバーは、{{仮リンク|羅就|zh|羅堪就}}と{{仮リンク|曾海丰|zh|曾海丰}}がボートに乗り込み、{{仮リンク|鄭志坤|zh|郑志坤}}は岸に残って後方支援に当たった<ref name=kh/>。